原田マハの『まぐだら屋のマリア』

 先日、奈良からサヲリさんが案内所に研鑽会で上京した時、「この本読んだ? 置いて行くから読んで!」と渡してくれた文庫本がこれだ。
            
 「えぇ〜、面白いタイトルだな」って思った。
 まぐだら屋?? マリア??
 確か「マグダラのマリア」って、新約聖書に出てくる人物にいたなぁ〜。
 娼婦であり聖女でもあったとか言われている人物??
 この小説の中では、山陰地方の海岸沿いの崖っぷちの小屋が「まぐだら屋」という定食屋で、そこにいる30代の女性で、名前が「有馬りあ」。呼んだときの響きが「マリア」と聞こえるので、それが通称になった。
 ちなみに「まぐだら」は、ここの地の伝説に出てくるマグロとタラが一体となった奇魚の名前だというから笑ってしまう。
              
 物語の舞台は、これ以上に寂しい地名はないだろうと思えるような「尽果(つきはて)」というバス停近くの定食屋・「まぐだら屋」。
 左手の薬指がない謎めいた女性・マリア。乱暴だが心優しい漁師・カツオ。マリアを悪魔と憎んでいる老女・女将。そこに集まる様々な傷を負った人たち。
 生まれた時に野原いっぱいに野菊が咲いていたので母が付けてくれた「紫紋」というきれいな名前の青年主人公。
 実は彼も、死のうと思って辿り着いたのが、この寂しい地塩村の「尽果」というバス停。
 そこから見えた崖っぷちに建っている小屋。
 彼はそこを、人生の終わりの地にしようと辿り着く。
 彼は、東京・神楽坂の老舗料亭で修行をしていた。
 そこの料亭で起こった食材の回し使い、偽装表示、賞味期限改ざんという事件を機に、料理人としての夢、大切な2人の仲間を失って、後悔と自暴自棄な気持ちを抱えて辿り着いたのだ。
 このようなシチュエーションを描き、登場人物一人ひとりの過去の謎解きのような展開で、最後にはそれぞれが勇気を得て再び未来へ踏み出すという物語。
 さすがというか、つくづく原田マハらしいなあと思ってしまった小説だった。
 何といっても、読後の心境が清清しく、ちょっと未練を感じながら、温かい気持ちでページを閉じることが出来るのがいい。