待ちに待った映画『銀河鉄道の父』を観る

 この映画『銀河鉄道の父』は、2018年1月に第158回直木賞受を受賞した門井慶喜さんの同名著書『銀河鉄道の父』が原作である。


 僕は、2017年9月に刊行された時に、新聞の書籍広告で見て宮沢賢治とその父・家族の物語」だと知り、早速、読んで感動した一冊である。
 宮沢賢治は、生前には作品のほとんどが一般には知られず無名に近かったが、没後、草野心平らの尽力によって国民的作家となり、彼の作品は多くの人に読まれ続けている。
 宮沢賢治の詩や童話、その作品に対する評論など、僕も賢治を愛する一人として触れてきたが、この門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』ほど知的刺激を受けながら読み進めた書籍には出会えなかった。
 そんなことで、今年初め頃、映画化され5月公開と知ってから、待ちに待っての観賞。

    

 賢治の父親・政次郎役の役所広司さんと、賢治役の菅田将暉さんの演技力は素晴らしかった。さすが迫力満点。
 しかし、2時間ちょっとという制限のある映像表現の中での賢治の生涯は、駆け足的ストリー展開になってしまっていたのはやむを得ないのかもしれない。
 賢治の妹トシの亡くなる場面とか、賢治に対しての超親バカな父親の行動など、要所要所はよく描かれていて、賢治物語の映画としてはグッとくる箇所も多々ある映像描きとなっていて、満足した賢治物語の映画観賞だった。
 
 僕としては、この映画を鑑賞した方に、更に感動を味わいたいのであれば、原作の門井慶喜さんの著書『銀河鉄道の父』を、ぜひ読まれることをお薦めする。
 映画での感動がもっともっと大きなものになるに違いない。

    

 この原作となった著書『銀河鉄道の父』で、僕がどんな読後感を得たのか、2017年9月に、このブログに記したものを再掲載させていただく。

 宮沢賢治という一人の作家を、父の視点とその家族との日常の中で、人間・宮沢賢治が浮き彫りになり、彼の作品が生まれた背景をこれほどリアルに描いた著書があるだろうか。

 物語は、関西に出張中の政次郎(賢治の父)が滞在先の旅館で、長男誕生の電報を受け取るところから始まる。
 賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、長男である賢治は本来ならば家を継ぐ立場だが、彼は学問の道に進み、創作に情熱を注ぎ続けた。
 地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父(政次郎)は、そのような息子をいかに育て上げたのか、昔ながらの封建的父親像と、親バカ的な我が子を愛する情念とに葛藤しながら、父親の目線で、決して長くはない紆余曲折に満ちた賢治の生涯と、家族愛に満ちあふれた宮沢家の日々を描いているのだ。

 政次郎は、商家の主が息子の看護などにかかわることを考えられなかった当時、幼少の賢治の赤痢や中学のときの発疹チフスの疑いで入院した際には、回りから止められながらも、その看護を連日泊まり込みで行ったというエピソード。賢治が欲しいと言えば大枚を費やしても鉱物標本箱を買い求め与え、高等農林学校卒業後の教員時代にも生活費や創作費用の無心に絶えず応える話など、裕福な家庭だからこその我が子への溺愛ぶりも描かれている。
 そして、父の信念とは異なる信仰への目覚めや、最愛の妹トシとの死別などがリアルに描かれ、没後に評価されて今でも読み続けられている詩集『 春と修羅 』の中の『永訣の朝』や童話『 風の又三郎 』『 注文の多い料理店 』などの創作が「このような背景で…」と知ることができる。
 さらに、花巻農学校教員の職を依願退職し「羅須地人協会」を設立し、一人暮らしをしながら農学校の卒業生や近在の農民を集め、農業や肥料の講習、レコードコンサートなど文化活動の日々。彼の有名な言葉「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」としての農民芸術の実践を、病弱な身体と戦いながら試みる生き様は、読中、何度も目頭が熱くなるのを禁じ得ない。

 物語の最後は、賢治没二年後の三回忌の準備に里帰りした賢治の妹の子供達を相手に政次郎が、賢治が病床で手帳に書き留めた『雨ニモマケズ』の詩や、未完で終わる『銀河鉄道の夜』を話し聞かせながら、愛息の臨終を回想する。
 そして、自分の信じる西方極楽浄土ではなく、日蓮の教えの天上にいる賢治が最愛の妹トシに何かしら読んで聞かせている光景を脳裏に描く。そして賢治との最後の約束の「妙法蓮華経を一千部作ってみんに配る」ことを成し終えた政次郎は、「賢治とようやく打ちとけた話ができるような気がする」と、改宗をも思い巡らすところで、この著書に描かれた親子の愛の物語は終わる。