連日、猛暑。
今日も、強い日差し、空には雲一つない、暑い暑い一日だった。
こんな猛暑に中でも、ビタミンカラーの花は元気に咲き誇っている。
◇会の機関紙「けんさん」月号ができる
昨日、印刷屋さんから「けんさん」8月号が、印刷が上がって届いた。
早速、全国の各ブロックごとに分けて各地に送る。
コロナ感染拡大前は、高田馬場の東京案内所から全国の会員宅に直接発送していたが、4月からは各地に送って、そこから会員宅に送ってもらっている。
全国の会員が、いま、どんな生活をして、どんなことを考えているか、そんな記事の満載だ。
◇今日はステイホーム
今日の予定は、午前9時からのZoom研鑽会だけだったので、高田馬場まで出かけないでステイホーム。
朝5時半に起きて、妻たちのやっている家庭菜園的畑に行って、水撒きと雑草引きを1時間半ほどする。汗びっしょり。
9時からは、毎週金曜日定例になった関東のZoom研鑽会。
◇夕方、自由民権資料館に行く
我が家から車で20分ほどのところにある自由民権資料館。
新たな史料を展示していると、タウンニュースで知って行ってみる。
この能ヶ谷という地区は、小田急線の鶴川駅の近く。
ここの地域で、名主などの村役人を長年担ってきた神蔵宗家に残された史料の初展示。どんな史料が、展示されてるのかと興味をもって観る。
(企画案内のHPから転載)
江戸時代、能ヶ谷村は3旗本(福井氏、細井氏、桜井氏)の知行地だったが、1715年に福井家の後継者が断絶し幕府領となる。
幕末、黒船来航後、内海(現東京湾)の防衛が、幕府の喫緊の課題となり、幕府は三浦半島の防衛を熊本藩主細川越中守に任せる。
そのための防衛費充足の目的で、能ヶ谷村の幕府領が熊本藩の預り地となった。
このような経緯の中での、御料(幕府領)と・私領(旗本領)の田畑を色分けした「村絵図」や、熊本藩の預り地となった時の名主(神蔵家)への「免状」などが展示してあった。
(企画案内のHPから転載)
(企画案内のHPから転載)
その他、当時の村運営にかかわる秣場(まぐさば)関係の請願書や取決書、明治に入ってからの太政官の高札なども展示してあった。
これら以外にも、興味ある展示。
能ヶ谷地域には、古墳時代末期の横穴古墳群があるのだ。
これらも、名主であった神蔵宗家の所有地での発見・発掘だったのだが、そこから出てきた7世紀のものと推定される直刀やフラスコ形細頸壷などの副葬品も展示してあった。
僕は、5月に鶴川駅近くの高蔵寺とその付近を散策したときに、この横穴古墳も寄って見学してきた。その時の写真がこれだ。
あの時の横穴古墳の見学が結びついた。