帚木蓬生著『 襲来 』(上)(下)を読む

 鎌倉時代の2度にわたる蒙古襲来。
 その、ユーラシア大陸に拡がる人類史上最大の帝国の蒙古軍上陸を阻止し、蒙古の統治下にならなかったのは、神風が吹いたおかげだと、僕らは昔、歴史の時間に学び、何となくそれを信じている。
 では、その実態はどうなのだろうか。鎌倉時代のどのような背景の中で蒙古襲来があったのだろうか。そんなことにも興味があって、この帚木蓬生さんの『 襲来 』を読んだ。

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 この物語は、日蓮に仕えた安房の漁師・見助という、実直で優しい、献身的な一人の人物の視点で描かれる。
 実際の蒙古襲来の文永の役(1274年)」弘安の役(1281年)」の記述は、文庫(下)の3分の1を過ぎたあたりからなのだが、それまでの時代背景と、日蓮日蓮宗草創期の布教活動を描き、日蓮立正安国論の中で、蒙古襲来を予言し、見助を「我が耳目として」対馬に送るのだが、その西国までの道々の様子を丹念に描き、さらに蒙古襲来の対馬壱岐の悲惨な襲撃状況を描いている。

f:id:naozi:20200819202612j:plainしかし、この物語は、日蓮宗を立ち上げた日蓮が主役ではない。
 最初から最後まで、見助という一人を主人公に、その見助の人間としての成長と生きざまを描き、その中で、蒙古襲来という大事件と、今まで多くを語られることがなかった対馬壱岐の、蒙古襲来の際に、鎌倉幕府からはいわば見捨てられた存在だった島民の惨事(ほとんど皆殺しされ、若い女性は手に穴をあけられて綱を通され、奴隷として連行された等々)を、数々の資料をもとに描いてた史実を語る物語となっている。

f:id:naozi:20200819202612j:plain読み進める中で、蒙古襲来をほんとうに日蓮は予言したのだろうか、と思って調べてみたら・・・、
 確かに日蓮立正安国論の中で、「念仏を禁止して正しい教えを広めなければ外国の侵略があり内乱が起こる」 と論じていたのが蒙古襲来の予言ではないかとあった。
 さらに、文永の役の2年後に記した『一谷入道御書』で、「去ぬる文永十一年十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに、宗総馬尉逃げければ、百姓等は男をばあるいは殺し、あるいは生け取りにし、女をばあるいは取り集めて手をとおして船に結い付け、あるいは生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせてもまたかくの如し。船おしよせて有りけるには奉行入道豊前前司は逃げて落ちぬ。松浦党は数百人打たれ、あるいは生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壱岐対馬の如し」と、対馬壱岐の戦況を記述しているのだ。
 これらの史実を膨らませて、著者の帚木さんは、日蓮の耳目として対馬に滞在させた見助の、日蓮宛てのひらがなの手紙という形で見事にフィクション的物語の展開をさせている。

f:id:naozi:20200819202612j:plainこの『 襲来 』という小説は、文庫(上)(下)合わせると900ページを超す長編であるが、実に読み応えがあり、読書の醍醐味を味わうことができる。
 それは、帚木さんが書く小説はいずれもそうなのだが、主人公を取り巻く人物が、いずれも生き生きと人間味溢れる人物として関わり描かれていて、それが読む者に、滋味溢れる旬の食材の料理を味わっているような、読書の心地よさを与えてくれる感覚を味わうことができるからだと僕は思っている。