猛暑が連日続いている。
昨日は、高田馬場の案内所で仕事をしていて、4時過ぎ、そろそろ電車が混まないうちに帰宅しようと思っていたら、急に暗くなって、雷が鳴りだし、猛烈なゲリラ夕立。
東京は、一昨日も激しい夕立だったので、2日連続のゲリラ夕立だった。
今日は、今のところ降りそうな空ではない。
◇会の機関紙「けんさん」8月号
編集の大詰め。今月は、紙面のレイアウトをヒデコさんとトモコさんが担当してくれて、それがほぼ出来て送られてきたのを、昨日から、修正したり、字句の校正をしたりと、メールでやり取り。
昨日までは高田馬場の案内所でやっていたが、今日はステイホームでテレワーク。
朝からパソコンとにらめっこして、編集委員の意見も集約して、ヒデコさんに修正してもらって、何とか午後には最終版が完成。
印刷屋さんのお盆休みが明ける来週早々に、印刷してもらう予定。
◇芥川賞の2作品を読む
8月7日発売の文藝春秋に、今回の芥川賞受賞作品が掲載されている。
今回は、どんな作品が受賞されたのかと読んでみた。
芥川賞受賞作は、いつも僕には難解なものが多く、読んでも感想を記することは難しい。今回の2作品ともそうなのだが、一気に読むことができた作品だった。
高山羽根子さんの『首里の馬』は、沖縄を舞台にしたもので、無くなろうとしている小さな私設資料館の史料のデータベース化を自主的にしながら、世界の各地の孤独な者たちとオンラインでクイズで繋がっている奇妙な仕事をしている女性が主人公。
歴史の一片一片の情報が、将来役立つかどうかは別として残そうとする行為。オンラインの中での連帯感のようなものの実感。著者は現代社会に深い意味ある何かを投げかけているような作品だった。
遠野遥さんの『破局』は、選者の吉田修一さんが書いているように、いろいろな依存症を抱えながらの若者を描いている。しかし、その依存症は、意識しないで誰の中にもあるようなもの。肉体を鍛えようとするトレーニング依存、人並みに生きたいというステータス依存、本能的快楽のセックス依存、そして一番厄介な常識・マナー依存。こちらも現代社会に生きる人間の根深い何かを問うている作品だった。
◇一昨日の「折々のことば」
哲学者の鷲田清一さんが紹介している「三人寄れば文殊の知恵」のことわざ。
確かにそうだ。
最近、新型コロナウイルス感染拡大で、僕たちもZoomを使ったオンライン打ち合わせや研鑽会を試みている。
やり始めた頃は、どこにいても、どんなに遠くても、気軽にいつでも繋がる便利さに魅了されていたが、最近、なぜか物足りなさを感じている。
事柄を決めるのには便利であることは確か。
しかし、相手の顔の表情とか、動作とか、それを見て感じたり、余談と思われる会話も飛び出したり、その中から自由な発想が生まれるなどの、遊びと言ったらいいのか、余分なものと言ったらいいのか、そこからの連想する思考回路の楽しさがないことに、ちょっと不満が募るのだ。