この物語は、三重苦の障害を克服したヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの物語の日本版であるというので読んでみた。
確かに、ヘレン・ケラーとサリヴァン先生の話を、明治時代の日本を舞台にしたフィクションだった。
ヘレン・ケラーは「介良(けら)れん」として、アン・サリヴァンは「去場安(さりばあん)」で登場し、物語の舞台は明治の津軽で、2人の出会いは1887年(明治20年)の春と、史実のヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの出会い時と同じく設定して物語は展開する。
では、この原田マハさんの物語 『 奇跡の人 』を紹介するに当たって、ヘレン・ケラーについて、ウィキペデアの記載を参考に要約して記してみよう。
ーー ヘレンは、1880年、アメリカ合衆国のアラバマ州タスカンビアで誕生。
1歳半の時に高熱に伴う髄膜炎に罹患する。医師と家族の懸命な治療により、かろうじて一命は取り留めたものの、聴力、視力、言葉を失うという三重苦の生涯、話すことさえできなくなった。
このことから、両親からしつけを受けることの出来ない状態となり、非常にわがままに育ってしまう。
1887年、ヘレンの両親は聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者)を訪れ、ベルの紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長マイケル・アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。
派遣されてきたのが、同校を優秀な成績で卒業した当時20歳のアン・サリヴァンであった。
サリヴァンは小さい頃から弱視であったため、自分の経験を活かしてヘレンに「しつけ」「指文字」「言葉」を教えた。
その甲斐あってヘレンは、あきらめかけていた「話すこと」ができるようになった。
サリヴァンはその後約50年にもわたって、よき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていく。ーー
このように、ヘレンは、視覚と聴覚の重複障害者でありながらも、世界各地を歴訪し(日本にも3回訪れている)、障害者の教育・福祉の発展に尽くしたアメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家で有名な人物である。
この物語では、ヘレンが言葉を発するという奇蹟が起こった時期までをなぞりながら、日本の津軽を舞台に、介良(けら)れんと去場安(さりばあん)の苦闘の物語として描いている。
しかし、著者の原田ハマさんは、単なるヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの物語を日本版に置き換えての創作でなく、そこに、日本の明治時代にあった家族制度、障碍者差別、男女差別に立ち向かいながらの物語に置き換え、ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの物語を、我々日本人に身近な物語として提供している。
さらに、津軽地方に存在していた「ボサマ」と呼ばれる盲目の旅芸人(家の前で三味線を弾くなどしてめぐみを乞う)を登場させ、その旅芸人の少女・キワの存在が、れんの奇蹟(人間としての成長)に大きな役割を果たさせたり、そのキワの晩年の津軽三味線演奏を聴いた文部省役人が、制定されたばかりの重要無形文化財候補に推挙し、子供の時期にやむなく別れ離れになった2人が再会できるという、原田マハさんの心温かいフィクションを織り交ぜて、完成度の高い、感動的な物語としている。
さすが、原田マハさんの作品だと、今回も納得して、読後の余韻に酔いしれた。