今年の秋に、上野の東京国立博物館で「運慶展」が開催されていた。
僕は、その「運慶展」に行く前に、運慶という仏師がどういう時代に生き、どんな環境の中で作品を作ったのか、「運慶展」観賞の予備知識的動機で読んだのが、梓澤要著『 荒仏師 運慶 』だ。
「運慶」とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての激動の時代に活躍した天才仏師である。
当時の仏像造りというのは、個人の技もあるが、棟梁を中心とした職人工房集団の技術集合体で優れたものを作っていた。
彼らは、互いに切磋琢磨し、技を磨き、棟梁が描いた仏像を彫りあげていくのだ。
奈良の仏師一門に生まれた彼は、幼い頃から父・康慶のもとで鑿を持ち、美しいものや仏に魅せられて、その仏師としての才能を磨く。
平家、源氏、北条、足利と、その時々の権力者に翻弄されながらも、仕事の依頼は次々とあり、仏師としての技能鍛錬には恵まれていた。
武士の社会に変わる時代での、運慶の写実性に富む作風は脚光をあび、父・康慶の後を継いで棟梁となって一門を統率しながら、「仏像を彫るということはどういうことなのか、」と、これでもかこれでもかと技の追求の日々。
このもの物語は、そんな運慶の仏像づくりの一生を描いている。
物語の読みどころは、「運慶の作品」一つひとつが、どのような背景から生まれ、運慶がどのような苦悩の中から彫りだし作り上げた仏像なのか。また、「御仏を守れ」と平家の焼き討ちのときに命がけで阿修羅像などの仏像を救い出す、さらに、その消失した仏像の再興造像に情熱を傾けるなど、それぞれのエピソードが、実にリアルに描かれている点である。
たとえば、彼が20代に初めて一人で彫りあげた「大日如来座像」では、一目惚れした傀儡女(くぐつめ)と言われる旅回り芸人女性の姿態を参考に彫ったことや、「八大童子立像」制作時には、寒い工房で息子達にポーズをとらせて下絵を描いたり、東大寺南大門の「仁王像」製作のくだりでは兄弟子・快慶とのライバル意識の中での軋轢など、「運慶作品鑑賞」においてイメージを膨らませるに十分満足できる予備知識となった。