先日、訪れた奈良の東大寺のPhotoが整理できたのでアップする。
◇東大寺を訪れて、先ず入ったのは「東大寺ミュージアム」
ここでは、重要文化財の「千手観音菩薩立像」、国宝指定の「誕生釈迦仏」、国宝の「月光菩薩立像」「日光菩薩立像」などを、間近で鑑賞することができた。
展示品の写真撮影ができなかったので、入場パンフレットから。
◇次は、東大寺南大門へ
ここは、やっぱり左右に設けられた「金剛力士像」だ。
正面から見て門の左側には阿形像、右側には吽形像が安置されている。
これらは鎌倉時代の天才的仏師・運慶が指揮をとり、快慶らとともに彫り上げたもの。
左側(西側)の「阿形像」
右側(東側)にある「吽形像」
◇いよいよ大仏殿、正式名称は「東大寺金堂」へ
大仏殿の正面の燈籠は国宝「金銅八角燈籠」
「虚空蔵菩薩像」
「広目天像」
「多聞天像」
「如意輪観音菩薩像」
仏師たちは、動乱の時代、戦乱や疫病、飢饉などから「何とか人の心に平穏を」と、人々の心の拠りどころとなることを願って、ひと彫り、ひと彫り、祈りを込めてノミを刻み、土をこねたのだろう。それが、芸術的にも完成された仏像となって、彼らの思いが、今の僕たちにも迫ってくるようだ。
僕は以前、運慶の仏師としての生涯を描いた小説・梓澤要著『荒仏師 運慶』を読んだことがある。
この中に、「運慶の作品」一つひとつが、どのような背景から生まれ、運慶がどのような苦悩の中から彫りだし作り上げた仏像なのか。また、「御仏を守れ」と平家の焼き討ちのときに命がけで阿修羅像などの仏像を救い出し、さらに、その消失した仏像の再興造像に情熱を傾けるなど、それぞれのエピソードが、実にリアルに描かれていた。もちろん、東大寺南大門の「仁王像」製作が、どんな思いで作られたのかも描かれている。