金曜日のおしゃべり

 今日の東京は、よく晴れ一日。


◇会の新聞「けんさん」新年号の原稿執筆と編集開始
 僕の担当している2面のインタビュー記事がある。
 一昨日の夜にインタビューしたのを、今日は原稿にする。
 2600字の字数に何とか収める。
 インタビュー記事の一番大切なことは、その人が一番言いたいことは何かを見極めることで、それを浮き彫りになるようにまとめることだと思っている。
 ぼちぼち集まりだしている投稿原稿の編集も始める。


◇盛岡から懐かしい人が
 かなり以前、かれこれ20年くらい前だと思うが、世田谷に住んでいたオカノさんという女性が、案内所を訪ねてくれた。
 お土産に、きれいな筒状の缶に入った「南部せんべい」をいただいた。
 「南部せんべい」は、ピーナッツ味もいいが、やっぱり黒ゴマがまぶしてある素朴な味がいい。
        



那覇市の『不屈館』Photo
 先週末、沖縄に行ったときに参観した資料館の一つに『不屈館』がある。
 沖縄の祖国復帰と平和な沖縄の実現を目指して命がけで闘った男・瀬長亀次郎。
 TBSが夏に『米軍が最も恐れた男〜あなたはカメジローを知っていますか?〜 』のタイトルでドキュメンタリーを放映した。
 彼の残した膨大な資料を中心に、沖縄の民衆運動を後世に伝えようと設立された資料館だった。
        
 彼は「不屈」という字が好きで、色紙を求められたとき、この文字を書いたとう。
 それが、資料館の名前になって入口に飾られていた。
 それほど、広い資料館ではないが、見応えのある内容だった。
        
        
        
 資料を観て、ビデオを観て、このような人物がいたことに感動する。
 彼の講演には、いつも大勢の人が集まったという。
 信念を曲げることなく、戦い続けた彼だからこそ、こんな言葉が胸を打ったのだろう。
『このセナガひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば全那覇市民まで聞こえます。沖縄の90万人人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波をこえて、ワシントン政府を動かすことができます』
        
 彼は、2001年、94歳で亡くなった。