柳広司著『南風(まぜ)に乗る』を読む

 柳広司さんの本は、以前に風神雷神を読んだことがある。
 これは、江戸時代初期の画家で、生年不詳・没年1640年頃、知名度の高さと後世への影響の大きさに比べ、その生涯には不明な点が多いと言われる謎の絵師「俵屋宗達」の生涯を描いた歴史小説だった。
 柳広司さんが今回刊行したのは、戦後の米軍支配下の沖縄を描いた作品『南風(まぜ)に乗る』。僕は柳広司さんの作品読書2作目だ。

               

 この『南風に乗る』は、戦後、本土から切り離され、米軍支配下に取り残された沖縄を舞台とした物語なのだが、実在の3人の人物の視点から「民主主義とは何か」を一貫して問い、自由と民主主義を謳う米国の沖縄統治での非道な振る舞いと、その米国に忖度しながら沖縄の実態と沖縄の同胞に目を向けなかった本土の政治家(日本政府)の理不尽な歴史を描いている。

 全編を通して登場するのが、アメリカが最も恐れた男”と言われた不屈の政治家・瀬長亀次郎なのだが、前半の第1部では、東京に住み、遠く離れた故郷沖縄に思いを馳せる詩人・山之口貘が登場し、後半の第2部では、戦後の東京で私費を投じて米軍支配が続く沖縄との連帯を模索し「沖縄資料センター」を立ち上げた英文学者・中野好夫が登場する。
 この実在の3人の視点を通し、本土復帰までの沖縄の「米軍統治時代」と、それへの「闘い」を描いた物語なのだ。

 瀬長亀次郎については、2016年に沖縄に住んでいる次男家族を訪問したときに「瀬長亀次郎資料館『不屈館』」を見学したことがあり、彼の戦後の沖縄での活動はそれなりに知っていたつもりだったが、改めて彼の偉大さに心を打たれた。
 また、僕は知らなかった詩人・山之口貘、英文学者・中野好夫についても、彼らの沖縄への思いと行動が伝わり、読み応えある内容だった。

 

◇最後に那覇市内にある小さな「瀬長亀次郎資料館『不屈館』」のことを記しておく。

               

 彼は「不屈」という字が好きで、色紙を求められたとき、この文字を書いたとう。
 それが、資料館の名前になって入口に飾られていた。
 それほど、広い資料館ではないが、見応えのある内容だった。

               

               

 資料を観て、ビデオを観て、このような人物・瀬長亀次郎がいたのかと感動する。
 彼の講演には、いつも大勢の人が集まったという。
 信念を曲げることなく、戦い続けた彼だからこそ、こんな言葉が胸を打ったのだろう。
 『このセナガひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば全那覇市民まで聞こえます。沖縄の90万人人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波をこえて、ワシントン政府を動かすことができます』

               

 彼は、2001年、94歳で亡くなった。


 ちなみに、この『不屈館』の館長は、瀬長亀次郎の次女の内村千尋さんなのだが、僕が訪れた時は金曜日の夕方とあって、参観者は僕一人だった。ビデオを見ていたら千尋さんがコーヒーを出してくれたことを覚えている。