池波正太郎の文庫『真田太平記』

 今朝、6時頃起きて、素振り用の木刀を持って屋上に上がったら、雲の間から朝日が差し始めたときだった。
 朝方まで降っていた雨が止んで、清々しい空気が流れていた。
 北の風景は靄が漂いちょっと幻想的。
       

 そして、西の空には朝虹が出ていた。
       
       
 「朝虹は雨」と言われているが、それとは逆の、今日は秋晴れが期待できる、そんな「雨上がりの虹」だった。


池波正太郎の文庫『真田太平記』12巻を読み終わる
 大河ドラマの進行に合わせて読み進めようと思っていたが、終盤の大阪冬の陣、夏の陣、その後の真田家の行方と結末が気になって、第11巻と第12巻を一気に読んでしまった。
 第1巻を読み出したのが、確か、7月1日か2日だと思うから、結局12巻を3ヶ月半で読み終わったことになる。
           
 巻末の「解説」を書かれた八尋舜右さん(昭和63年当時・朝日新聞社図書編集室長)は、その中で、哲学者の堀秀彦さんの池波正太郎作品に対する言葉を紹介している。
 「池波正太郎はいいねえ」
 「文句なしにおもしろい」
 「歯切れがいい」
 「ばかげた死が描かれていない」
 そして、池波正太郎は「小説はまずおもしろくなくてはならない」を信条にしていた作家だったと書いている。
 さらに最後では、この『真田太平記』において、大きな読みどころとなっている真田家に仕える忍者・草の者についても触れている。
 僕も全巻通して、ひたすら真田家のために、献身的に命をかける草の者たちの暗躍に、ドキドキしながら読み進めてしまったので、それを転載させていただく。
 「『真田太平記』には、お江をはじめ多くの草の者、すなわち忍者が登場し、物語の重要なファクターを担って活躍するが、これらの、いわゆる下等者あつかいされた人間たちを描く作者の目は温かい。忍者を単に権力の使い捨ての道具として、荒唐無稽に描くのでなく、血のかよった等身大の職能者として差別なくとりあつかっているので、その死にも明白に必然性が感じられるのである。」
 僕も、真田左衛門佐幸村を始めとした主要な登場人物の生き様と同様に、草の者の生き様に感動しながら読み終えたので、八尋舜右さんのこの「解説」に納得して最後のページを閉じた。