朝、自由民権資料館に寄る

 今日は木曜日でファーム町田店の定休日、朝の日課になっているお店の開店準備がなかったので、高田馬場の案内所に行く前に、我が家の近くにある「町田市立自由民権資料館」に寄って、約1時間ほど展示資料を見た。
      
 実は、この資料館について、次号の季刊誌『フラタニティ』の「わが街の記念館」で執筆紹介して欲しいと、編集長の村岡到さんから言われているので、展示品の写真撮影許可手続きのことが知りたかったのと、現在やっている特別展示企画の「五日市憲法展」が、今週末で終わってしまうので、その前にと思って寄った。
      
         


◇それほど大きな資料館ではないが、
 激動の明治初期に、町田市域をはじめとする多摩地区が、いかに自由民権運動が盛んだったかというのが、よく理解出来る資料がいろいろと展示してある。
 また、「五日市憲法展」には、複製の全文が展示してあった。
 日本憲法の源流とも言われ、内外の研究者から高い評価を受けている「五日市憲法草案」は、1968年に西多摩郡深沢村(現あきる野市)の豪農、深沢家の土蔵から発見されたものだ。
 起草者は、五日市で教員をしていた旧仙台藩士の千葉卓三郎。
 資料として、草案の現代語訳がプリントされて置いてあったのだが、それを見ると、実に驚く内容だというのが分かる。
 基本的人権の尊重や、教育の自由の保障、教育を受ける義務、法の下の平等言論の自由、信教の自由などが盛り込まれた憲法草案なのである。
 このような民権意識が、維新後の明治初期に、市井の人々の間に育っていたという事実に驚く。
 そして、その運動が、ここ多摩地区で盛んだった背景は何だろうか? と、知的興味を刺激する。
        

 
◇ちょっと話題を変えて
 資料館の展示の中に「三多摩移管〜神奈川から東京へ〜」というのがあった。
       
 町田市は、南多摩郡で昔は神奈川県だったというのは知っていた。
 人からも「町田は、東京都と行っても都心からは遠いし、限りなく神奈川県だよね。」とよく言われる。
 三浦しをんの小説『まほろ駅前多田便利軒』は、町田市が舞台モデルだが、その中にも「ここは東京なのに、なぜか、横中バス(実際は神奈中バス)だけが走っている。」と書かれている。
 そんな町田市も含めた三多摩地区と言われる地域が、なぜ、神奈川県から東京都に移管されたかが記されていて、興味をもって読んだ。
 「神奈川県に属していた西・南・北の三多摩郡は、明治前期に神奈川県と東京府にとっては、府民の飲料水となる玉川上水の水質管理の観点から、神奈川県にとっては、税収上の重要地である反面、自由民権運動の拠点である〝厄介〟さから、でした。」
 なんと、自由民権運動の拠点である〝厄介〟さから、神奈川県当局が手放したというのに、何故か笑えてしまうではないか。