じっくりじっくり、楽しみながら読み進めた岩波新書の永田和宏著『現代秀歌』。
やっと最後のページを閉じる。
もう、本書については3度ほど、このブログに記しているが、今回も著者が言っている短歌の読み方というか、味わい方について教えられた、大切だと思われることを記しておきたい。
著者の永田和宏さんは、このように書いている。
─ 自ら歌を作らない国文学者や小説家は、往々にして歌を意味で解釈し、それでわかったような気になっている風に見える。もちろん歌を作らない一般の人々も然りである。歌は意味が通っていることも大切だが、意味だけで終わってしまっては、詩としての味わいも、奥行きも、幅もすべて失われてしまうものだ。意味は考えるが、大切なのは意味がわかったあと、どれだけその歌が、作者と読者のあいだの懸隔の深さをあらわにしてくれるか、その間に横たわる謎を提供してくれるか、つまり作者が述べた意味以上に、どれだけ読者がその一首に参加できるかが、本当に歌を味わい、鑑賞するためにはもっとも大切なことなのである。「<意味読み>をしない」ということを、短歌の鑑賞では心がけたいものである。─ (本書159P〜160P)
先に書いたブログで、本書を読みながら、僕の印象に残った歌はすでに何首か書いたが、さらにこの歌を記しておきたい。
第3章「新しい表現を求めて」から
そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまえのままがいいから
小島ゆかり『獅子座流星群』(平10)
*子や孫を、こんな気持ちで見ている自分がいるし、見たいと思う。
第4章「家族・友人」から
ときにわれら声をかけあふどちらかがどちらかを思い出したるとき
岩田 正『郷心譜』(平4)
*長く一緒に暮らしていると、こんな夫婦関係が一番居心地いいと思う。
第5章「日常」から
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
穂村 弘『シンジケート』(平2)
*「ふたり」って恋人だろうか、僕は遊び疲れた父と息子だとイメージした。
第8章「四季・自然」から
夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん
馬場あき子『雪鬼華麗』(昭54)
*夜中でも散り続けている桜は、来年も咲いてくれるだろう。
季節はめぐり、僕の来年は、一歳、歳を重ねている。
著者は季節のめぐりを円環時間、我々人間の命の時間を直線的な時間という。
著者の永田和宏さんは「おわりに」で、本書100首の番外編として自作の歌を紹介している。
「おわりに」より
一日が過ぎれば一日減ってゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ
永田和宏『夏・2010』(平24)
*奥様の河野裕子さん(歌人)を乳がんで亡くされる前に詠った短歌だ。
最後のページを閉じるが、しばらくは鞄の中に入れておいて、時々、めくりたくなる新書である。