◇供給所の看板が立つ
昨夜、帰宅したら実顕地生活館前の新・多摩供給所の入り口に、立派な看板が立っていた。
立派というのには2つの意味がある。
看板そのものは町田街道沿いにあった供給所の時のモノであるので、それはそれで立派なのだが、ここに立てたのはカワハラさんとイヌカイさんが苦労して穴を掘り、セメントを流し込んで自前で立てたことである。
今朝、朝日に照らされた看板をカメラに収める。後ろは生活館だ。生活館の標柱と並んで立った。
◇機関紙「けんさん・11月号」編集中
10月も最後の週だ。
昨日から機関紙「けんさん」の11月号の編集に傾注。
今日も投稿された文章を掲載用に編集したり、写真を集めたり、届く予定でまだ届いていない原稿を催促したり…。
◇遊牧民出身力士・逸ノ城
今日の新聞に「まげ」を結った逸ノ城が載っていた。
記事のタイトルがいい。
「逸ノ城」の「逸」を使って「逸材」
「逸材」」は「人並み以上にすぐれた才能」だし、「逸物」と言ったら「群を抜いて優れているもの」の意味だ。
親方は、それで「逸ノ城」という四股名(しこな)を付けたのだろうと想像して納得。
確かに「逸材」だ。5場所で最速の三役・関脇になった。
モンゴルの遊牧民出身というので、僕も関心がある。ヤマギシの村にも、遊牧民出身の若者が何人か農業研修できている。みんな素直で頑強な体をしている。
ネットニュースで、遊牧民として育った逸ノ城のこんな言葉を見つけた。
「冬は氷点下30度。耳も凍った。妹が洗濯、弟はゲルの掃除。自分は400頭以上いる家畜の世話や水汲み、火をおこすのに使う丸太を運ぶ手伝いをした。500m離れた川から10リットルのバケツ2個を運ぶのが日課だった。暇があれば草原で友達とモンゴル相撲をとっていたし、仔馬なら軽く投げ飛ばしていました。」
こんなゲルに住んでいたのだろうか。