中学校の同級会に出る

 日曜日の朝、近くの公園を歩いたら、どんぐりがいっぱい落ちていた。
       

       

◇少年時代の「Naoちゃん」に戻る
 先月、ちょうどモンゴルに出張していた時に、中学時代の同級生から電話をもらった。
 「来月末に同級会をやるんだけど、Naoちゃんに会いたいと言っている者もいるから来てよ」という電話だった。
 昔、中学時代は、僕はNaoちゃんと呼ばれていた。


田舎は福島県なのだが、時々、関東在住の同級生が集まっていることは、その都度連絡が来ていたので知っていた。
 僕は、約30年前に一度と、その後は6年前に参加しただけで、スケジュールも合わずにあとは失礼していたが、今回は参加してみようと思った。

 日曜日の今日、12時に京成小岩駅集合。
           

田舎から2名と静岡県から1名来ていて、関東在住が13名の合計16名が集まった。
集まった中には、中学を卒業以来の約50年ぶりの再会という人もいた。
 名前を名乗られて、ちょっと時間をおいて、やっと思い出す人も何人もいた。
 「Naoちゃん暫くだねぇ〜」といわれても、誰だったかな?と戸惑う始末。
 男性は、何とか昔の彼を思い出したが、女性は、最後まで子供時代の彼女を思い出せない人もいた。
           

僕たちが卒業した中学校も、いまは町内1ヵ所に併合されてないのだが、団塊世代の僕たちは、田舎の中学校でも大勢で、2クラスあって67名だった。
 幹事役のトシオとサダオがマメな男で、全員の名前と住所、電話番号が書かれた名簿を配ってくれた。
 それによると、67名中で「故人」と書かれているのが10名、「住所不明」と書かれているのが3名。あとはみな連絡が取れているのには驚いた。
 さらに、同級生どうして結婚しているのが2組いた。
           

それぞれが、それぞれの人生を歩んできた話をいっぱい聞かせてもらった。
田舎の幹事役のサダオは、田舎の郵便局長までやって定年。今は町役場から特別に雇用されて、「福島は全量検査だから・・」と、毎日、出荷米の放射能測定をする仕事をしているらしい。
 東京の幹事役のトシオは、自営で電気工事を請け負っている。病院の特殊な工事技術があるらしく、全国の病院を今でも飛び回っているらしい。
 50年ぶりに会ったトクヤスは、僕と家が一番近かった。
 彼がどうしても僕に会いたいと幹事役のトシオに言ったらしい。
 彼が赤ん坊の時に、母が野良仕事中に夕立ちが来て、濡れたままの母に縁側で抱かれている時に落雷に遭った。母は亡くなったのだが奇跡的にトクヤスは生きていたのだと子供の頃に聞いた。その影響かもしれないが今でいう学習障害で「ヤス、ヤス」とみんなから疎まれていた。家が近かったこともあって僕の母は、よく面倒を見ていた。
 その彼とは中学卒業以来の再会だった。もう歳だから引退したが東京で鳶の仕事をして、結婚もして子供も一人いると聞いた時には、本当に嬉しかった。
 学校にいつも一緒に行っていたヒロシは、金属プレスの技術者になって、7年間も中国蘇州に会社の代表として単身赴任で行って工場を立ち上げたという。しかし今は、認知症を患った妻のお世話に専念と言っていた。
 おてんばのアケミは、イチゴ大福なども作っている和菓子屋の女主人になっていた。
 学年で一番頭の良かったマサヨシ、3年前に脳梗塞で倒れて、歩行が困難だと、残念ながら姿を見せなかった。
            
 こんな話を、Naoji〜sanは50年前のNaoちゃんに戻って、いっぱい、いっぱい聞いて、次の再会を約束して帰ってきた。