Eテレの録画を観る

 昨夜、時間があったので、先月末に放送されたEテレの『戦後史証言「日本人は何をめざしてきたのか」第4回・二十二歳の自分への手紙〜司馬遼太郎〜』の録画を観た。

 このシリーズは、第1回が「湯川秀樹武谷三男」で、第2回が「鶴見俊輔」、第3回が「丸山眞男」で、いずれも見応えのある内容だった。
 今回の「司馬遼太郎」も、さすがEテレの番組だと思う内容だ。
              
 学徒出陣し、22歳で敗戦を迎えた司馬遼太郎は「日本人とは何か」を問い続けるために「22歳の自分への手紙」として数々の小説を書き続けたと紹介する。
 番組は次のような司馬の言葉から始まった。
 ―  自分にとっては、敗戦というのは、なんて言いますか、ショックでした。なんとくだらない戦争をする、そしてくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろう。一体こういうばかなことをやる国とは何だろう。そいうことが日本とは何か、とか、日本人とは何だ、ということの最初に疑問になったわけであります。─
 その疑問を追求するために、司馬は、幕末から明治の国民国家の歴史をたどり、歴史を創ってきた数々の人物を主人公に、日本人の本来持っていた姿を描き続ける。
 しかし、昭和の戦争については、ノモンハン事件をはじめ10年も取材を続けながら、司馬が書くに値する人物が見当たらず、小説に残すことなく亡くなってしまった。
 その司馬遼太郎の足跡を、番組は丹念に描く内容だった。
 そして番組は、司馬が残した遺書とも言うべき『二十一世紀に生きる君たちへ』の紹介で終る。
 司馬はこの中で、
 ─ 「いたわり」 「他人の痛みを感じること」 「やさしさ」 この3つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をして、それを身につけねばならないのである。─
 このように、人間として大切なものは「訓練」しなければ育たないと、21世紀に生きる子どもたちへ託す希望の言葉を綴り、そうすれば「人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない」と結んでいる。