言葉についてのおしゃべり

◇「辞書を編む人たち」
 先週の土曜日夜、NHKETV特集で「辞書を編む人たち」という番組をやっていた。
 三浦しをんの「舟を編む」がベストセラーにもなったし、映画化もされて話題なので、最近、辞書づくりが注目されているのだなと思いながら観た。
 僕にはなかなか面白い、興味を惹く番組だった。
 三浦しをんの小説でも描かれているが、辞書づくりは地道な時間のかかる作業である。
 「用例採集」といって言葉を集める作業は、編集者たちはいつもカードやメモを持ち歩き、通勤や食事の最中でも耳にして気になった言葉を書きとめる。
 「見出し語選定」は、用例採集した言葉の中から実際に辞書に載せる言葉を選んでいく。日々生まれる新しい言葉をどこまで載せるのか、悩みながら整理していく。
 そして、こんな辞書にしたいというコンセプトを持ちながら、「語釈書き」といって、選定した言葉の意味を、わかりやすく、より簡潔に、使用例を入れながら、説明する原稿を書く。何度も何度も書き直しながら、それを繰り返す。
 こんな地道な辞書改定作業に密着した番組だった。
 三浦しをんの「舟を編む」を思い出しながら、興味を持って観た。
             
 貸していた本が、回りまわって約1年ぶりに戻って来たので、もう一度読みたくなってしまった。


◇諺「灯台もと暗し」
 今日、あるところで「灯台もと暗し」という諺の話題になった。
 「ときどき、〝灯台〟を岬に建っている灯台だと思っている人がいるんだよね。」
 そう言った人がいた。
     
          →   
 確かに、この諺を聞くと、
 「船の航行を手助けするために、岬に設置してある灯台は遠くを照らすが、岬の灯台の足元は意外に光が届かず暗い」そんなイメージが湧く。
 先に書いた「辞書を編む人たち」の番組の中でも、編集者が「最近、誤解されて使われる言葉が意外と多い」というようなことを言っていた。
 この諺の「灯台」だって、本来は、昔使われていた明かりの「灯明台」や「燭台」のことだったが、いまは「岬の灯台」をイメージしても、それなりの意味が通じてしまう。
 広辞苑を調べても、「灯台(燭台)の直下はあかりが暗いように、手近の事情はかえってわかりにくいものである」とある。
 岬の灯台とイメージしても、諺としての役割はある程度はたせるのだ。
 もともとの言葉の意味を聞くと「そうなのか」と合点がいくが、誤解が何となく通じてしまうあたりが、言葉って、面白いと思うし、時代を生きているなぁって思う。


◇間違いやすい諺(ここからは言葉遊び)
 諺って面白いとついつい深追いしてネットで調べたら「間違いやすい諺」というのが出ていた。
 眠くなるまで、言葉遊びのつもりで書いてみる。(*印は僕の勝手な感想)


   蟻のはい出るすきもない → 蟻のはい入るすきもない(誤)
       *「少しのすきまもないほど、警戒が厳重なこと」なのだから、
        どちらでもいいようにも感じてしまう。 
   一寸先は闇 → 一瞬先は闇(誤)
       *メートル法施行後に育ったからなぁ〜。   
   枯れ木も山のにぎわい → 枯れ木も花のにぎわい(誤)
       *確かに枯れ木には花がさかないが、花の方が彩りを感じるなぁ〜。  
   舌先三寸 → 口先三寸(誤)
       *でも、「口先だけの奴」なんて言うしなぁ〜。 
   出る杭は打たれる → 出る釘は打たれる(誤)
       *「ぬきんでている人は往々にして人から憎まれる」のは分かるが、
         実際に釘が出ていると危険だし打ちたくなるし・・・。
   立つ鳥あとをにごさず → 飛ぶ鳥あとをにごさず(誤)
       *鳥だったら、やっぱり飛んで立ち去るしなぁ〜って思ってしまう。
             
 拾い出したら切りがないし、ますます眠気が去るので、言葉遊びはこの辺で・・。
 ん、ん、ん・・・「切りがない」って、本来どんな意味から出来た言葉なのかなぁって、また調べたくなるが・・・今日はやめる。