深津真澄著 『近代日本の分岐点』 を読む

 先日、『ユートピアの模索・ヤマギシ会の到達点』 の著者・村岡到さんから送っていただいた深津真澄さんの書いた 『近代日本の分岐点・日露戦争から満州事変前夜まで』 という本を、やっと読み終えた。
             
 この本は、サブタイトルにもあるように、日露戦争以後の満州事変が起こるまでの25年間の史料的価値ある著書である。
 著者は冒頭のプロローグで 「日露戦争から満州事変前夜までの歴史の流れを掘り下げて点検してみると、私たちの近代史の理解にはいくつか盲点があったのではないかという思いを深くする。端的にいえば、大正時代に起きた日本社会の底流の変化を、これまでの歴史は正当に評価していなかったのではないかという疑問である。大正という時代は、一般市民の間でも何となく影の薄い時代だったのではないか。」 と書いている。
 この明治末期から大正を経て昭和になった時代は、近代日本にとって何だったのか、それを問いながら、日本が軍国国家として、悲惨な戦争へと向かってしまう、確たる地盤を築き上げてしまった事実を、5人の人物を通して、その5人それぞれの生い立ちまで遡り、なぜ、このような歴史がつくられてしまったかを、詳細に検証したものである。
              
 僕にとっても、恥ずかしながら確かにこの時代は知識的にも空白である。
 学生時代の歴史の授業でも、縄文・弥生時代はヤジリを探しに行っての学習まで織り込んだ授業であったが、明治時代の後半からは、期末の慌ただしさに理由を付けて、先生は触れようとしなかった記憶がある。
 今思えば、悲惨な敗戦と、それに伴う価値観の大転換を強いられた者にとって、それは無理からぬことであったのかも知れない。
 その様な僕にとって、この 『近代日本の分岐点・日露戦争から満州事変前夜まで』 は、興味が湧く本であったし、読み進めれば進めるほどに、5人の人物で章分けしてあるので、時間軸の前後があって立ち止まってしまう部分はあったが、知識欲を十分にくすぐり、引き込まれてしまう内容であった。
              
 そして今、読了した感想としては、この時代に声を大にして 「国際協調路線」 を論じる人物がいたという驚きと、しかしながら結局は軍部主導の大陸侵略と権益優先の国家づくりに進んでしまったことに、過去の歴史は変えることが出来ないとしても、無念さを感じざるを得ない。
 それにしても、ジャーナリストであり後に政界人となった石橋湛山が、大正10年に発表した大日本主義の幻想』 の中で述べている次の言葉には、時代を超越した崇高な考えを含んでいる。
 石橋湛山は、満州権益確保や大陸植民地化に対して、それを 「棄てろ」 といい、
 ─ 吾輩が我が国に、大日本主義を捨てよと勧むるは決して小日本の国土に跼蹐(きょくせき)せよとの意味ではない。これに反して我が国民が、世界を我が国土として活躍するために、即ち大日本主義を棄てねばならぬというのである。それは決して国土を小にするの主張ではなくして、かえってこれを世界大に拡ぐるの策である。─
 このように声を大にして論じているのである。
              
 この大正時代とその前後が、近代日本の分岐点と位置づけされるように、東日本大震災以降の現在が、また一つの大きな分岐点と位置づけされ、生き方、社会のあり方の変革が、心ある識者から叫ばれている。
 先の分岐点といわれる時代において 「満蒙は日本の生命線」 と大陸進出を価値的位置づけされて、軍国日本に舵を取ったように、この現在日本の分岐点で 「経済発展優先が日本の生命線」 と、これだけの被害を被った原発事故を起こしながら、世界最高レベルの技術力と自負して、再稼働と海外に売り込む原子力産業支援も含めた経済重視の政策。
 この本を読んで、僕は改めて、立ち止まるべき時には立ち止まり、大河ドラマの 「八重の桜」 ではないが 「ならぬことはならぬものです」 を、噛みしめたいと思うのである。