やっと読み終わった小川哲著『 地図と拳 』

 先日ブログに感想を書いた沢木耕太郎さんの長編『天路の旅人』(600ページ弱)を読んでいる途中で、芥川賞直木賞の発表があり、直木賞受賞作の中に小川哲さんの『地図と拳』が入っていた。


 この『地図と拳』は、日露戦争直前の1899年から、第2次世界大戦後の1955年に至るまでの物語で、満州を舞台としている。その時代と中国大陸という『天路の旅人』と共通点もあり読んでみようと思ったのと、読賣新聞で彼が──高校生のころから、ずっと心 に決めているルールがある。「自分の力ではどうしようもないことに対して、必要以上に思い悩まない」ということだ。(中略) 結果がついてくるかどうかはあまり気にしない。自分に決められることではないからだ。僕は、自分の持っている実力を出すことはでき るし、自分が考えていることを伝えることはできるけれど、他人の考えや信念を変えることはできないかもしれない。それは仕方のないことだ。自分にできることに集中する。小説家になっても、その気持ちに変わりはない。たとえば文学賞の選考については、僕が考えても仕方のないことなので、どのような結果になろうとも気にしない。僕にできることは、自分が信じる「面白さ」を追求することだけだ。自分が「面白い」と思う本を、その時点のベストを尽くして書く。──と書いていたのを読んで、小川哲という著者に興味を覚えたからだ。


 そんなことで入手した『地図と拳』は、その時読み終わってなかった『天路の旅人』同様の600ページを越す長編だった。

    

 この物語のタイトルの「地図」とは国家であり、「拳」とは戦争である。
 あまりの長編にちょっと戸惑いながら読み出したのだが、日露戦争で多くの犠牲をだしながら獲得した満州の利権に、陸軍中枢や満鉄幹部はどのような思惑で満州統治をしようとしたか、そしてそれが我が国の利益のみを考えた無謀な施策であり、第2次世界大戦の敗北という歴史を作ってしまったのか等などに、どんどん引きずり込まれて、夜はニュース以外はほとんどテレビを離れて読むという、実に読み応えのある内容に圧倒された。

 それにしても小川哲さんの筆力に脱帽。フィクションでありながら、登場してくる人物一人一人の人間性がリアルにイメージでき、立場の異なる人々の戦争に至る思惑が複雑にからみあい、その人物達の人間模様を巧みな表現力で描いている。
 小川哲さんはインタビューで「戦争に至る失敗の正体を知りたい」と言い、──親も戦後生まれの世代からしてみれば、歴史の授業で出てくる第2次大戦は謎だらけ。敗戦に至る過程を一から知りたかった。満洲を書くことが20世紀前半の日本について書くことの縮図だと思ったんです。」と言っている。しかし、現在のウクライナソ連の戦争、その中での両国指導層の思惑と、戦地で闘う兵士達の心境を彷彿させられる内容でもある。(昨日の朝日新聞朝刊1面に、ウクライナソ連の最前線で闘う兵士の声が掲載されていた)

 さすが、直木賞選考委員会で満場一意の推薦だと書いてあったが、それに相応しい書籍である。
 そして、それを裏付けるように、最後に記されている150点に及ぶ膨大な「参考文献」。これだけの資料を読み込んでの創作に、小川哲という作家に改めて脱帽してしまった。

 いま、僕の手元には読みたいと思ってメルカリなどで入手した本が4冊も溜まっている。
 沢木耕太郎さんの『天路の旅人』の感想を読んでくれたSさんから「ぜひ読んだらいいよ」と伝えられた沢木耕太郎さんの書籍だ。
 文庫『波の音が消えるまで』第1部・第2部・第3部
 文庫『人の砂漠』

                

 今夜から、これらの読書に移ろうと思う。