沢木耕太郎著『 天路の旅人 』を読む

 日本紀行文学の金字塔深夜特急』で知られるノンフィクション作家・沢木耕太郎さんが昨年刊行した『天路の旅人』を読んだ。

    

 沢木さんは、今から四半世紀前に一人の男・西川一三(にしかわかずみ)という男に興味を覚える。
 その西川一三という男は、第二次大戦末期、敵国である中国大陸の奥深くまで潜入した「密偵(スパイ)」である。
 西川は25歳のとき、ラマ教の蒙古人巡礼僧に扮して日本の勢力圏だった内蒙古を出発し、当時の中華民国政府が支配する寧夏省を突破し、広大な青海省に足を踏み入れ、第二次大戦が終結した1945年以後も、蒙古人ラマ僧になりすましたまま旅を続け、行く先々で語学を習得し、さらには僧侶としての修行もし、托鉢でその日の食べ物を得ながらチベットからインド亜大陸にまで足を延ばす。
 そして、1950年にインドで逮捕され日本に送還されるまで足掛け8年に及ぶ長い旅の年月を、蒙古人「ロブサン・サンボー」として生き続けた。

    

 その西川一三の壮大な旅の一部始終は、帰国後自らが執筆した『秘境西域八年の潜行』という書物に記されているが、沢木さんは西川への計50時間に及ぶインタビュー、家族、担当編集者、関係者の取材、著作と文庫版、朱字の多く入った膨大な生原稿、新聞記事、当時を知る人の著作などを徹底的に読み込み、その生を立体的かつ重層的に浮かび上がらせて、さらに日本の敗戦を知った後も任務を放棄せず仏僧として、当時外国人の入国が禁じられていたチベットの都市ラサへ、そしてインド方面に潜入を続けるという人生を生きた男を、幾度も死線をさまよいながらも未知なる世界への歩みを止められなかった「希有な旅人・旅における自由の極点を知った旅人」として、畏敬と憧憬を込めて描いている。

 沢木さんは帰国してからの西川一三にも触れている。
 彼は岩手県盛岡市で理容室に必要な消耗品などを卸売する会社を経営し、休日と決めている元日以外の三六四日は休まずに会社に出て、午前九時から午後五時まできっちり八時間働き、昼はカップヌードルとおにぎりを二つ、夜は馴染みの店でつまみを頼まず日本酒をきっちり二合分飲んで、帰宅すると妻の用意した夕食を食べる。プロ野球の中継があればそれを見て、だいたい決まった時間に床に就く。こうした生活を何年にも渡って繰り返し八十九歳で人生を終えた。
 そのような彼の自分の信念に沿った真摯な生き方、未知の世界に対する探究心、どの様な困難に遭遇しても自分の使命をまっとうしようとする意思力を貫いた男の生き様を、描ききっている。

 それにしても、大戦末期から戦後の激動の歴史において、このような人物が実在したことに驚く。日本の敗戦を知り「密偵」から「無国籍の旅人」へと立場を変え、さしあたり自分が生きて行くことだけを考えて旅を続けた西川は「無限の自由」を得ていく。
 その西川一三の心境を沢木さんは「旅における駝夫の日々といい、シャンでの下男の日々といい、カリンポンでの物乞いたちと共の日々といい、デプン寺における初年坊主の日々といい、新聞社での見習い職工の日々といい、この工事現場での苦力の日々といい、人から見れば、すべて最下層の生活と思われるかもしれいな。いや、実際、経済的には最も底辺の生活だったろう。しかし、あらためて思い返せば、その日々のなんと自由だったことか。誰に強いられたわけでもなく、自分が選んだ生活なのだ。やめたければいつでもやめることができる。それだけでなく、その最も低いところに在る生活を受け入れることができれば、失うことを恐れたり、階段を踏みはずしたり、坂を転げ落ちたりするのを心配することもない。なんと恵まれているのだろう、と西川は思った。(本書496頁)」と晩年の西川の生活を彷彿させる自由の境地を読者に提示している。