新聞を読んで思ったことのおしゃべり

 昨日(2/13)の朝日新聞夕刊1面トップに新しき村の現状が載っていた。

               

 新しき村は、白樺派の作家・武者小路実篤の「人間らしく生きる」「自己を生かす」といった理念に共鳴した人たちが集まってできた農業共同体である。
 1918年に宮崎県で発足して、現在は埼玉県の東武越生線武州長瀬駅」から歩いて20分ほどの所にある。
 最盛期は60人を超える村民だったが、2018年に100周年を迎えた時には8人となり、現在は3人とのこと。何とかして存続させたいと昨年から理事長に村外会員の実篤の孫・武者小路知行さんがなって、再生に向けた取り組みをはじめたという記事だった。

 

 実は僕も、同じように「幸福な人生を一人ひとりが実現できる社会づくり」を目指している者として、20数年前に、「新しき村」ではどんな理念で、どんな実践をしているのだろうかと興味を持って3度ほど訪ねたことがある。
 僕を迎えてくれたのは、発足当初から実践している渡辺寬二さん(今は故人)だった。とても紳士的な、静かに淡々とお話をする人だった。
 もうかなり前のことなので、どんなことを聴いて、どんな内容を話し合ったかは定かに覚えていないが、村内を細かく案内してもらって、自作の油絵が何枚か飾ってある渡辺さんの自室で話し込んで、その後、2度も訪ねて、それ以降は年賀状のやり取りを数年していた。

 僕が訪ねたときは、村民は10人前後だったと思う。乳牛を飼っていたが世話をする人がいなくなって先月止めたと言って、養鶏舎を案内してくれて、美術館でも展示してある作品についてのお話をしてくれた。

 

 渡辺さんと話して「僕たちの考えと異なるなあ」と印象に残って今でも覚えているのは「労働観」だった。
 「新しき村」では、衣食住の個人負担はないが、一日決められた時間の「労働義務」があった。その時は確か「1日6時間労働義務」だったと思う。それ以外の生活時間は、各人が好きな絵を描いたり、執筆をしたり、その人なりの自由な「幸福な自己実現」の時間として生活している。
 僕たちは「労働」を「義務」とは捉えてないなあ~、労働も自己実現・幸福探求の営みの一環として、仕事の中にも自分らしさ、持ち味を発揮しようとしているな、と思ったことだ。

 もう一点、印象に残っている渡辺さんの言葉がある。
ヤマギシさんには、特講とか研鑽学校とか、自己の理念や考えを高めるための場があるよね。それのいい悪いは別として、そのような場を用意せず、人が人を強制しないという事から、自己向上や自己実現、それは各人の自由意志に任せているんだよ」的な言葉を言っていたことだ。

 

 この記事を読んで、渡辺さんと語り合った「人生にとって幸福とは、どんな姿なのか」を、いままた考える時間を呼び覚まされた。

 

◇「新しき村」を2018年に訪ねた政治学者・姜尚中(カン サンジュン)さんは、記事の最後に次のようなコメントを寄せていた。

『 樺派、武者小路実篤が掲げた理想主義は、近代的な個を尊重しながら、自然と親しみしみ共に生きていこうというもの。間口が広く、左右のイデオロギーを超えた理念だからこそ、村が100年以上続いてきたのではないか。先細りだとはいえ尊敬に値する。対立の続く今の時代、再び見直されてもよい。農業を志す若者たちによって、埼玉だけに限らず、「のれん分け」のように広がっていく可能性もある。』

 

◇村の入り口にはこんな2本の標柱があったことを思い出した。

               

                 (写真はネットから借用)  

       『この門に入るものは自己と他人の生命を尊重しなければならない』