『遠野物語』は実に面白い

 柳田国男の『遠野物語』を、あらためて読んでみると、実に面白い。
          

 有名な著書なので、読まれた人も多いし、詳しい説明は省くが、『遠野物語』は柳田国男が、岩手県遠野地方に伝わる話を聞き著した民話集だ。
 しかし、読んでいて感じるのは、決して遠野地方だけに伝わる話でもなく、家の神・天狗・山女・姥神・雪女・河童・狼など、どこかで聞いたことがある話でもある。
 そんな話が119話も収録されているのだが、その中には奇怪な話もあり、残酷な話もあるが、なぜか幻想的な雰囲気と、懐かしさも感じる不思議な世界、そんな読後感が残る。

 119話の中から、短めのものを、ちょっと転載してみると・・・

◇51話
 山にはさまざまの鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌より駄賃附の者など峠を越え来れば、はるかに谷底にてその声を聞くといへり。
 昔ある長者の娘あり。またある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。夕暮れになり夜になるまで探しあるきしが、これを見つくることを得ずして、つひにこの鳥になりたりといふ。オットーン、オットーンといふは夫のことなり。末の方かすれてあはれなる鳴き声なり。

◇55話
 川には河童多く住めり。猿が石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きはめて醜怪なるものなりき。・・・(以下略)。
                   
◇56話
 上郷村の何某の家にても河童らしき物の子を産みたることあり。確かな証とてはなけれど、身内まつ赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌はしければ棄てんとてこれを携へて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにと立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきといふ。

◇69話
 ・・・(略)・・昔ある処に貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養ふ。娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、つひに馬と夫婦になれり。ある夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のをらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きゐたりしを、父はこれをにくみて斧をもちて後より馬の首を切り落とせしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマといふはこの時よりなりたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。・・・(以下略)。
                       

 このような話が満載なのである。
 海岸の村では異国人との事が出たり、蜃気楼の話があったり、津波で家族を失った話まである。
 テレビもなく、映画などもない時代、夜な夜なに語り継がれたドラマが、そこにある。

◇さらに、111話では
 ・・・昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追ひやるの習ひありき。老人はいたづらに死んでしまふこともならぬゆゑに、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといひ、夕方野らより帰ることをハカアガリといふといへり。


 なんと、姥棄ての話まである。


 これから僕は、続編とも言われる遠野物語捨遺』のページに入るのだが、それがまた面白そうでワクワクする。