昨年、三浦しをんが書いた『仏果を得ず』を読んでから、僕は文楽を鑑賞できるチャンス(東京公演)を待っていた。
この『仏果を得ず』は、若い義太夫が文楽の修行を通して、芸事に悩み、恋に悩みながらも成長していく姿を描いた小説なのだが、それを読んでから、古典芸能としての文楽の世界に興味が湧いて、僕は一度、文楽を実際に観に行きたいなあと思っていた。
東京の国立劇場での2月公演は9日からだ。
早速、10日夜のチケットを予約して妻と出かける。
地下鉄・半蔵門線で半蔵門駅を降りる。
歩いて5分ほどで国立劇場。文楽公演はここの小劇場だ。
夜公演の演目は、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』
文楽鑑賞も初めてだし、この演目も初めて聞くので、パンフレットを購入して〝にわか勉強〟をして開演を待つ。
文楽の演技は浄瑠璃語り、三味線弾き、人形遣いの三者で成り立っているのだが、さすが日本が誇る古典芸能だ。
浄瑠璃語りと三味線弾きの迫力がすごい。
人形遣いもまた、一体の人形を、主遣いと黒子2人の3人掛かりで操るのだが、細かい動きが、まるで人間が演じているような情の世界を感じさせる。
物語は、1人の求馬という美青年と、お三輪という酒屋の娘、権力者の妹の橘姫の三角関係の恋物語なのだが、浄瑠璃語りなど初めて聞くので耳慣れない言葉づかいで、理解は十分でなかったが、それでも物語の展開に引き込まれるものがあって楽しめた。
一度鑑賞しただけなので、まだ文楽については書けるだけの知識もないが〝はまり〟そうな予感がするくらいだ。
次の5月東京公演は、近松門左衛門作の『曾根崎心中』が演目に入っている。小遣いが許せば、ぜひ観たいと思ってしまった。
帰りの電車の中で、
「どうして、どこかの市長は補助金をカットするとか、出さないとか騒いでいるのかなあ〜、あの市長は文楽を観たことあるのかなあ〜」
そんなつぶやきを妻にしたら、「そんな意味からも、あの市長は嫌いなの」と、妻はあっさり切り捨てていた。
今、僕は思う。
このような古典芸能を継承している人は大切にするべきだと。生活の不安など取り除ける援助をして、芸の道を極めて欲しいと。いっそ、国家公務員くらいの位置づけにしたらいいくらいだ。
汗だくになって全身で浄瑠璃語りをする姿、張り詰めた表情を崩さずにバチに力を込める三味線弾きの姿、人形になりきって足を鳴らしながら動く人形遣いの姿。
僕は、本当に感動した。
そして、若い修行中の演者が少なからずいることが嬉しかった。
古典芸能を継承するこんな若者を見守れないほど、僕たち日本国民の民度は低くないはずだ。