いま、大島真寿美さんの『 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び 』を読んでいる。
この小説は、江戸時代、大坂の道頓堀で活躍した実在の人形浄瑠璃作者・近松半二の生涯を描いたものだ。
三浦しをんさんが書いた『 仏果を得ず 』を読んでから、古典芸能の文楽(人形浄瑠璃)の世界に興味があったし、僕が、初めて人形浄瑠璃を実際に鑑賞したのは、東京国立劇場での公演で、演目が『 妹背山婦女庭訓 』だったということもあって読み出したのだ。
いま、半分ほど読み進めたところなのだが、こんな表現で描かれている箇所がある。
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その日、空が燃えた。
つい今しがた日が沈んだばかりだというのに、また俄かに空が明るくなったのである。
夜の闇が赤く大きく染まっていく。
なんだかおかしな具合だった。
どういうこっちゃ、と皆、驚きの目で、空をみる。
どこぞで火事やろか、と顔を見合わせる。
火事ということであれば一大事である。
しかしながら、火の見櫓の半鐘の音は一向にきこえず、あたりはじつに静かなものなのであった。
なんや気味の悪い空やなあ、と手をかざして人々が遠くをみやる。
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空の赤色は夜半を過ぎてなお、ますます濃くなっていた。白い筋だけでなく、濃淡のちがう赤い筋もゆらゆらと見え隠れし、蠢き、妖しさはいっそう増している。
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これは、オーロラの出現に庶民が驚き、異様に感じている描写なのだが、「オーロラって、北海道以外の日本の空にもあらわれたことがあるのだろうか?」と、僕にフッと疑問が出て、読書を中断してネットで調べてみた。
なんと驚くかな、北海道以外の地域でも観測の記録があると記されていた。
それによると、
--低緯度オーロラは、高緯度地域に比べると発生頻度はかなり低いものの、古くから日本国内においてなんども観測されてきました。古くは「赤気」と呼ばれ、赤く光る空から大火事が起きたと勘違いする人も多かったのだとか。
そんな低緯度オーロラを観測してきたのは、比較的近年であれば北海道の名寄町、上士幌町、陸別町などが中心。さらに古文書によると、かつては新潟、長崎、富山などで低緯度オーロラ(赤気)を観測したという記述も残っている。--
さらに別の記述には、
--江戸時代後期の1770年9月25日に、京都で見られた。--
という記述もあった。
江戸時代後期の1700年代といったら、歌舞伎や人形浄瑠璃が庶民の娯楽として盛んだった時期だ。
大島真寿美さんの架空の記述ではないことに納得。
このオーロラの出現を機に、主人公の人形浄瑠璃作者・近松半二は、彼の代表作『 妹背山婦女庭訓 』を書き上げ、翌年1771年(明和8年)正月に大阪・道頓堀の竹本座で演じられるのである。