想像力について

曽野綾子著『人間の基本』(新潮新書
 正月の途切れ途切れの時間に読んだ本が、この曽根さんの『人間の基本』だ。
 曽野さんは御年80歳だ。
 元気なおばあちゃんが、辛口で現代の物事や有り様に、元気に吠えているって感じの内容だ。
 少々、極端な論もあるが、共感を感じるのも多々ある。
 生活保護の問題や、戦後教育の間違い点や、教育は強制に始まるとか、不平等は当然とか、なかなか厳しい論だ。そして、常識とは何か、教養とは何か、などなど、日常に流されている思考回路を、一度立ち止まって、再思考してみるためには、一読に値する。
             


◇ちょっと一つだけ紹介
 エピソードを例にしながら語られている中の一つに、現代人の〝想像力〟の衰退を憂えている個所がある。
 曽根さんは、
 『想像力が加速度的に衰えていることは、テレビの天気予報一つでもはっきりしています。アナウンサーがいい年をした私たち視聴者に「傘を持って行くことをお薦め」したり、「洗濯日和です」とおせっかいを焼いたりするのは日本ぐらいのもので、よその国では素っ気ないぐらいに気象情報を伝えるだけでしょう。ましてや雨が降ると言うと、傘の印を持ってみせたり、まるで幼稚園児相手で、私は時々思わずテレビを切ってしまう。これも大人気ないんですけどね。』
 このように書いている。
 実は、僕も毎朝、そんな天気予報を見ているのだが、そう言われれば「そうだな」って思う。


◇新聞を見ていたら
 正月に溜まった新聞を整理していたら、この〝想像力〟について、4日の東京新聞でも、脚本家のジェームス三木さんが、物申している。
               
 『キャスティングありきと思われるドラマ作りが少なくない昨今だが、ドラマの基本は脚本だ。執筆の姿勢として7割は見せるが、あとの3割は視聴者の想像力に委ねる。近年のドラマは、想像力や視察力を奪う手法が目立ち、作品をつまらなくしている。視聴率が良ければと、過剰な説明で分かり易くして、かつて個々の視聴者が心の中で想像したり、お茶の間の家族の会話で補い、ドラマを完成させていたのがなくなり、画一化している・・』
 こんな趣旨の事を言っていた。
 確かに、最近のテレビドラマは、なぜか物足りない。
 三木さんも、安易なテレビの番組づくりが、視聴者の〝想像力〟を奪っていることを憂えているのだ。


◇ついでに、もう一つ、曽根さんの指摘を紹介する
 『最近は、親が敬語をきちんとしつけることができなくなりました。親自身が、何でもかんでも「してあげる」に慣れっこで、謙譲語も尊敬語もでたらめになっている。親が子供に何かをする時には、「してやる」と言わねばなりません。犬にお菓子をあげるというのはまちがいで、犬にはお菓子を「やる」のです。』
 言葉の乱れだけでなく、その基となる意識の問題を指摘しているように思える。