◇僕が生まれ育った故郷は、福島県の中通り最南端、茨城県との県境の「矢祭町」だ。
昨年の3月末に実家の兄の3回忌には、福島原発事故の影響で帰省することができなかった。
週末を栃木県の大田原農場に出かけた機会に、またお彼岸ということもあって、日曜日の夕方、僕は大田原農場から、僕の生まれた矢祭町に寄って、亡き両親と兄のお墓参りをした。
福島県の矢祭町と言ったら、最近はよくマスコミにも取り上げられる、ちょっと有名な町だ。
それは、全国でただ一つ、住基ネットの編入を拒み続けている町なのだ。
町の名前の由来は、源義家(通称:八幡太郎)が奥州戦争の凱旋の途中、この地の美景を賞賛し、背負っていた弓矢を岩窟に納めて戦勝報告の祭りを開き、武運を祈ったことから、この名がついたとされている。(僕が幼い頃に母からは、源義家でなく源義経の放った矢だと聞いていたのだが・・)
◇町の最南端、茨城県の県境にあるのが、奥久慈県立自然公園「矢祭山」だ。
ツツジと桜の名所である。小学生1年から3年生までの春の遠足はここだった。
僕の生まれたのは、ここから5Kmほど離れたところだが、今は、ここに姉が住んでいる。
一週間ほど前に、お墓参りに寄ることを姉に電話すると、姉は「おはぎを作っておくから・・」と喜んでくれた。
母は、僕が「おはぎ」が大好物なので、僕が帰省する時には必ず「おはぎ」を作って待っていてくれた。
姉は、それを知っているので、母が亡くなってからは「おはぎ」を作って待ってくれるのは姉の役割になっているのだ。
◇ここは、福島原発から80Kmの場所だ。
シイタケやマツタケの出荷は制限されているらしいが、米は問題ないと言っている。
最近、イノシシが増えて農作物の被害が多いと言うので、その理由を聞くと「イノシシの肉は放射能基準値を超えていると言われて、駆除のために捕獲しても、その肉を売ることができない」と、捕獲を誰もしないから増えているのだと言う。
公園の外れに、放射能濃度測定器ガイガーカウンターがあった。
町が設置したのだと言う。
原発事故から1年半。設置された測定器にもツタがからまり、ちょっと事故の風化を感じさせる。
示していた数値は「0.078μSv/h(マイクロシーベルト/時間)」だった。
今の時期は、公園の真ん中を流れる久慈川には、アユ釣りの客がいる時期なのだが、昨年からほとんどいないと言う。
町が昨年建てたバンガローも、利用客はいないらしい。
この矢祭山という地域には20数家族が住んでいる。
原発事故で、2人の子供がいた若い家族が、奥さんの実家の山梨に避難して帰ってこないと言う。そんなことで、現在は、高校生以下の子供が1人もいない状態なのだ。
◇奥久慈県立自然公園「矢祭山」散策Photo
久々に福島の実家に帰省して、両親と兄のお墓参りをして、姉宅に泊まった翌日の朝、「矢祭山」公園を散策した。
茨城県の「袋田の滝」を知っている人が多い。そこから約10数Kmしか離れていないにもかかわらず、奥久慈県立自然公園「矢祭山」を知っている人は少ない。
昨年の福島原発事故以降、少ない観光客がさらに少なくなったと言う。
*公園の中央にある水郡線「矢祭山駅」。今は無人駅だ。
*久慈川に架かる吊り橋。
*吊り橋を渡ると徳川光圀(水戸黄門)の碑がある。
『見ぬ人に 何を語らん みちのくの 矢祭山の 秋の夕ぐれ』
延宝元年・1673年9月2日 徳川光圀
*岩肌を流れる小川に沿って150mほど山にはいると「夢想の滝」がある。
*久慈川に沿って細長い田圃には、刈り入れた稲が干してある。
*公園内の遊歩道に入ると、もう散りかけてはいるが萩の花が迎えてくれる。
*遊歩道の最終地点が「矢祭神社」だ。
*八幡太郎の矢が祀ってあると聞いているが、ちょっと朽ちかけ始めていた。
子どもの頃は、もっともっと賑やかな観光地だったと、昔を思い出しながら散策した。