NHK・Eテレの2つの番組を観る

 僕は、昨夜と今日の早朝、NHKEテレの2つの番組を観た。
 昨夜観たのはETV特集『境界の家 沖縄から福島へ・ある原発技術者の半生』」で、今朝は「こころの時代『“小さき人々”の声を求めて』」だ。


◇『境界の家 沖縄から福島へ・ある原発技術者の半生』
 沖縄出身の原発技術者・名嘉幸照さん(75歳)。
          
 アメリカ・GE社の技師として福島第一原発の建設のために福島に赴任。
 建設完了後は、東京電力の協力会社を設立し、富岡町で地元の女性と結婚して暮らしてきた。
 そして、東日本大震災津波によっての原発事故。
 震災から6年の今、原発を作った技術者として、これからの人生は廃炉作業に向き合い福島で生きることを決心し、避難指示が解除された富岡町の自宅(境界ぎりぎり)に戻る。
 名嘉さんは、生まれ故郷の沖縄での米軍基地の問題と、福島の原発問題に関わってしまった自分の半生を振り返り語っていた。
 そして、原発建設とその後の運転が、いかに綱渡りの安全で乗り切ってきたか、その結果があの原発事故だったということを、原発技術者として証言していた。
          
 名嘉さんの次のような言葉ひとつひとつが、重く心に残った。
 沖縄での先祖の教え「学問がなくていい、世の中の礎として、世のためになることをやれ」を、自分はやってきたつもりだった。
 善しとしてやってきたものが、みんなの幸せにはならなかった。
 何のための自分の人生だったのだろうか。
 沖縄の基地も、福島の原発誘致も、一時的には潤ったかもしれない。しかし、それはみんなの幸せには結び付かなかった。
 原発を作った者として言えないかもしれないが、原発はゼロにした方がいい。
          


◇『“小さき人々”の声を求めて』
 今朝の「こころの時代」はドキュメンタリー『チェルノブイリの祈り』のノーベル賞作家・スベトラーナ・アレクシエービッチさんの放送だった。
          
 僕は、この本を昨年、読んだ。
 スベトラーナ・アレクシエービッチさんは、「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、独自の文学を築きノーベル文学賞を受賞した女性だ。
 『チェルノブイリの祈り』は題名の通り、1986年のチェルノブイリ原発事故から10年以上が経過した時点で、事故に関わった被災者50人ほどへのインタビュー記録だった。
 事故直後に駆け付けて消火活動をして被ばくし亡くなった消防士の妻の証言。
 3日間の避難と聞いて避難した地域住民たちの証言。
 立ち入り禁止地区の除染作業や、事故処理に駆り出された軍人たちの証言。
 核エネルギー研究所の元所長や研究者の証言。
 避難先でチェルノブイリから来たというだけで差別を受け、死を受け止めなければならない子供たちの証言。
 などなど、多彩な立場の膨大な人々にインタビューした記録である。
 そのスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、福島の原発事故に衝撃を受ける。
          
 その福島の「小さき人々」への取材が、去年11月実現。
 チェルノブイリのこと、福島で会った故郷をなくした「小さき人々」の声について、作家・徐京植在日朝鮮人作家・東京経済大学教授)と、語り合う内容だった。