内田樹著『呪いの時代』(新潮社)を読む

 この一見「えっ」と思わせるようなタイトルの本は、内田氏のエッセイをまとめたもので、現代社会の広範囲な事例をあげて、それを考察している。
 日本社会での「英語」についてや、「婚活現象」の元にあるものや、「草食系男子」とは何かにまで考察しているのだから・・・。
 読み進めながら「ほんとうにそうだよな」「なるほどそう考えれば納得する」と、内田氏の考察に引きずり込まれる。
            
 内田氏は未来予測として、「帰農志向」と、「交換経済」から「贈与経済」への移行をあげている。
 それらの考察内容が、あまりにも深すぎて、すぐには読後感想をまとめることが出来ないし、もう一度読み返してみたい心境だが、あえて一部分を紹介するとしたら、
 内田氏は、これからの社会について、
 ─ 私は人間に個性があるとすれば、それはその人の「金では動かない仕方」において端的に示されると考えている。同じことは集団についても言える。(略)日本がこの先、その際だった国家的アイデンティティーを国際社会に向けて示したいと望むのであれば、それは「金以外の何を優先的に気遣っているか」によって示す他ないのである。21世紀の日本、東日本震災後の日本社会は「金以外のもの」を行動準則に採用する人々によって担われてゆくことになるだろう。(略)─
 と論じている。
         
 読後をまとめきれない中で、もう一点、紹介するとすれば、村上春樹氏の言葉を引用しながら次のように述べている。
 ─ 村上春樹は『ノルウェイの森』がベストセラーになった後に、日本を脱出してしまったが、その最大の理由は業界から彼に向けて発信された組織的な「呪い」から逃れるためだった。(略)
 この成功した若い作家に対して投げかけられた批評家たちからの罵倒のすさまじさを私はいまも記憶している。(略)呪いの被害を受けた当事者として、村上春樹は現代の言論状況に何か「邪悪なもの」が含まれていることを指摘している。
「バブルが崩壊したあとは、ネガティブなものが主流をとっていた。『こいつはバカだ』とか『こいつはダメだ』とか『これはくだらない』とか、今のメディアを見ていると、何か悪口ばかりじゃないですか。でも、そういうものというのは、人びとの心を淋しく虚しくしていくだけだろうという感じがしてならない。ネガティブなことを言ったり書いたりしているのは、簡単だし一見頭がよさそうに見える。実際、今のマスメディアでもてはやされているのは、それに適した頭のよさだったりする傾向があるけれど、僕はやっぱり、そろそろ新しい価値観を作るべき時期だと思うんです。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文藝春秋
 多くの読者はこの判断に同意すると思う。それでも、「今のメディアを見ていると」、やはり依然として「悪口ばかり」なのである。政治家たちも知識人たちも、いかに鮮やかに、一撃で、相手に回復不能の傷を与えることができるか、その技巧を競い合っている。(略)
 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はあるいはかなりの部分まで真実を衝いているのかも知れない。私が問いたいのは、その指摘が正しいのだとすれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、あなたは何をする気なのかということである。
 完膚なきまで批判し抜くことが、個人に対しても制度に対しても、もっとも効果的な「改善」実践であるという左翼的な批判性の定型から私たちはもう抜け出すべきときだと私は思う。(略)
 私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、社会全体で、力を合わせて、ゆっくりと、しかし後戻りすることなくシフトしてゆくべき時期が来たと私は思っている。(略)─

 内田氏はこのように述べている。
 とにかく、現在社会に現れている事象を、広範囲に内田樹氏は考察し、分かり易く解きほぐしてくれている。
 読み終わったばかりで、まとまりなく、だらだらと書いてしまったが、一読をお薦めする書籍だ。