11年前に書かれた復活本『廃炉時代が始まった』

 朝、案内所に出勤する時、
 妻から「この本、探してきてよ。町田の××堂になかったの。高田馬場ならあると思う。」と言ってメモを渡される。
 「本屋になかったら、アマゾンで探したらいい。」と僕が言うと、「アマゾンってパソコンで買うやつ、ダメダメ。やり方面倒だもの・・。」と。
 妻のパソコン利用は、最近はメールとホームページ閲覧程度なら質問がなくなったが、「エクセルで送ってと言われている」とか、「こんなチラシを作りたい」とか、たびたび僕のくつろぎ時間に強引に侵入してくる。
 ああ、これではヤマギシで始めた「ネットストア」利用なんて、ほど遠いかも・・と思いながらメモを受け取る。
 夕方、高田馬場駅前書店で購入して、どんな内容の本なのか、妻に渡す前に目を通してみようと、新宿から町田までの電車の中と、コレステロール値の検査で寄った病院の待合室での時間を費やして「ざっと読み流す」気持ちで読みだす。

 舘野淳著『廃炉時代が始まった この原発はいらない』リーダーズノート新書
 この本は11年前に書かれて出版された本の復活版で、原子力学者が書いたものだった。
          

 再刊のためのまえがき「福島原発大災害への道」で著者は、  
 ─ 私はこの本を11年前に執筆した。しかし今読み返してみると、「福島への道」をたどりつつあった原子力発電の問題点を、原子力界の内部からかなり掘り下げることができたと思っている。(略)
 ─ 考えてみれば、福島原発で起きたこと、地震による電源の喪失、冷却材の喪失、炉心溶融、水素爆発などは、この本の執筆当時から、原子力関係者で安全に関心をもつ人たちには広く知られていた事象だった。(略)
 ─ この本で、ぜひ知っていただきたいいまひとつの点は、かつて日本原子力研究所(原研)などに在籍した研究者たちが、我が国の原子力開発のあり方に対して異議申し立てをしていた点である。(略)
 このように述べ、本編では、原子力開発の経過、原発の構造、日本に建設された原発一基一基ごとにどんな問題点があるか、どんな事故があったか、現時点での技術における原子力利用の限界などを詳しく解説し、
 そして最後の「政策の基本哲学に〝科学重視〟を」と題して、
 ─ 今日、巨大ビジネスに成長した原子力分野では必ずしも科学者の意見だけが通るとは限らない。しかし安全性や重要な技術問題については、十分に科学者の賛否を聞いて判断するという、科学尊重の哲学を根本にすえる必要がある。4章3節の事故の本質論で述べたように、事故を支配する自然と向かい合い、理解しようと努めているのは科学者である。扱い方を誤ると「自然」は人間に復讐するという。科学的認識がねじ曲げられ、政治優先・経済優先でことをはこぶなら、巨大事故の発生という形で人間は「自然」に復讐されるだろう。(略)
 と、結んでいる。
           
 このような内容のものが、昨年の福島原発事故を遡る10年前に書かれていたということが、僕にとっては驚きであった。
 そしてまた、原発再稼働問題が賛否両論沸騰している現在、私たちは何を基軸に判断するかに気付かせてくれる内容だ。
 著者も言っているように、原発論争が「安全で有益だから推進」と、「核と名の付くものは一切否定」という反原発論の、両極端な思考では確かに不毛の論争になりがちである。
 感情的、情緒的に流されず、この問題を「科学尊重の哲学から考える重要性」を教えてくれる新書だった。
 ざっと読み流して・・と思って読み始めた舘野淳著廃炉時代が始まった─この原発はいらない』。
 どうして、どうして、さすが復活版を出版しようと考えた人がいるだけの内容のものである。まさに今に通じる重要な問題提起だった。