中村桂子さんの「生命誌」と小幡さんの「ライブ」

 今日24日・月曜日の案内所は、午前中は「高校生親の研鑽会」
 そこに出席した人達が、昼食後、案内所事務室の床のワックスかけをしてくれた。前回2ヵ月ほど前に床の半分は終わっていて、今日は残りの半分をやってくれた。
 ここ数年、案内所では大掃除やワックスかけは年末はみな忙しいので、11月くらいまでに終わらせている。大げさに言えば「大掃除は年末」という観念の転換だ。
          


 昨夜のブログに書き足りなかった事を書いてみる。(ちょっと長く、理屈っぽくなるかも)

中村桂子さんの「生命誌」の僕の理解
    
 僕は日曜日、早朝5時から放送されるNHK教育TVの「こころの時代」を楽しみにして起きる。
 23日の放送は、生命誌研究者、JT生命誌研究館館長の中村桂子さんの「38億年 いのちの中へ」と題した話だった。
 中村桂子さんは、「生命誌」という視点から人間や自然を見つめ、社会のあり方を追求している。
 生きもはみな38億年前、たった一つの細胞から生まれ、多種多様に進化した歩みを内在している。他の生きものと、つながり合いながら、現在まで生き継いできた。その時間(歴史)と広がりの中で、生きているということを見つめ直そうと言うのが「生命誌」のようだ。
 中村さんは「今回の大震災で人間や文明のあり方が改めて問い直されている」と、次のような趣旨を語っていたように思う。(放送を観て頭に残っている理解だから誤解もあるかも知れないが)
 『自然は循環の中で、すべてのものと繋がり、生まれ、進化し、私たちがもっている心と体も、その自然の一部として、生命の営みという輪で存在している。38億年の生命の歴史のつながりを忘れて、単なる物の豊かさを求めて傲慢に生きると、環境問題がおきるだけでなく、心も壊れる。環境悪化と心の荒廃の問題は同じところから生じている。』
 『このすべてのものと繋がり合って存在する生命は、循環という輪の営みの中から〈生まれる〉ということ。それは人工物のように〈作る〉のでもなければ〈作られる〉のでもない。』
 中村さんは、生命を個々分解分析して解明する科学でなく、生命の歴史の繋がりから、生きるとは何か、社会とは何かを追求していると僕は受け取った。


◇「生まれる」という視点での小幡さんライブ
   
 先の中村桂子さんの話をTVで聴いた夕方、僕は小幡さんのパーカッション演奏を聴いた。
 演奏のテーマは「細胞からの音に出会う瞬間(とき)」
 小幡さんは、その場その場で即興的に演奏する。前もって「このように演奏しよう。この様な流れにしよう」などという準備は一切ないという。
 「音が、次の音を生み出すために、僕の手を、足を、身体を動かしている」と語る。
 さらに「僕は一人で演奏しているのではない。ここの環境と、会場にいる人、一人一人の心と共鳴しながら、僕の身体を使って音が生まれてくる」と演奏後のトークセッションで語っていた。
 確かに僕は、小幡さんの演奏を聴き終わった後、中村桂子さんの「生命誌」の話を思い出したのである。一つの「音」から、次々と多彩な「音」が生まれ、「音」どうしが繋がり合って、次の「音」を生み、縦横無尽に空間を浮遊している感覚。まさに、細胞が細胞を生み、多種多様な生き物をこの世に編みだす様を感じたのである。