古本市で『奥の細道をゆく』に出会う

◇先週は三重出張、週末は日比谷公園での「土と平和の祭典」、今週はモンゴルから来日中のお客さん対応などなど、なにやかやと忙しく、帰宅時間も遅いのが続きちょっと疲れ気味だったので、今日は夕方6時前に案内所を出て我が家・多摩実顕地に7時過ぎに帰宅した。
 夕食を愛和館(食堂)で、みんなと会話を楽しみながら食べるのも久しぶりの感じがする。今日のメニューは野菜の天ぷら。美味しかった。

高田馬場駅のBIGBOXの1階入り口前で「BIGBOX古書感謝市」というのが時々開催されている。
 この古本市を僕はあまり利用したことがない。古本の並べ方がランダムすぎて、探したい本に巡り会うのは、たっぷり時間のある時でもなければ至難の業だ。以前、店員にそれを言うと「早稲田界隈の古本屋が数店寄り集まって、それぞれがコーナーをもらって出しているからねぇ。統一できないんだよ、仕方ないね。」という返事だった。
 この古本市を今週も開催していた。
 昨日、BIGBOXの2階にある「100円ショップ」で、クリアファイルを買って案内所に戻るときに、そこを通りかかった。
 歩調をゆるめて本の背表紙を眺めながら通りすぎようとした時、昨日はなんと僕の視線が一冊の本のタイトルに止まったのだ。
 奥の細道をゆく』21人の旅人がたどる芭蕉の足跡
        

 手に取ると、2000年に放送されたNHKハイビジョン番組「奥の細道をゆく」を収録したものである。確か、その番組を何回かは観た記憶がある。
 すぐに読む時間があるかどうかは別にして、少々、衝動買い的に「カバンに入れて置いてもいいかな」と思って買ってしまった。500円也。
 奥の細道』は、松尾芭蕉が46歳の時、いっさいの名利を捨て奥州に旅立った150日・2400キロに及ぶ旅の記である。一度は読んでみたいと前々から思っていたが、なかなか原文を読むまでのモチベーションがなく今に至っていた。
 この本は、原文表記もしながら、21人の著名人達が「旅人」となり、芭蕉が歩いた各地で芭蕉の心情を解釈し語る内容なのだ。

 今日の帰宅の電車で数ページをめくったが、思いがけず、いい本に出会えたと満足している。
 「はじめに」には、次のような一文が掲載。
−−言うまでもなく、この古典中の古典の冒頭は、有名な一節で始まる。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」流れ行く時も、人の一生もすべては旅のようなもの─こうしたひとつの死生観とでもいうものが、いつの世から日本人のDNAに組み込まれたのか知る由もないが、そうした精神構造が受け継がれていく過程で、芭蕉が大きな役割を果 たしたことは疑いない。−−
 「日本人のDNAに組み込まれた精神構造」なかなか興味を引くテーマではないか。

   閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
   五月雨を あつめて早し 最上川
   荒海や 佐渡によこたふ 天の河
 教科書に載っていたのだろうか、これくらいしか僕は芭蕉の「奥の細道」句に聞き覚えがないが、この『奥の細道をゆく』をゆっくりと味わいながら、切れ切れの時間の合間に、我がふるさとの「白河の関」を超えて、芭蕉のたどった「奥の細道」に僕もお付き合いしようと思う。