ブログ「内田樹の研究室」による『学ぶ力』とは

 最近、僕が興味を持っている内田樹(うちだたつる)氏は、多くの本を出している武道家であり、思想家、翻訳家、元大学教授でもある。僕は時々、氏のブログ「内田樹の研究室」のアドレスを「お気に入り」欄から選んでダブルクリックする。
 今日は、氏が9月上旬に書いた「学ぶ力」と題した文章をみつけた。興味ある内容なのでちょっと抜粋する。
***
 日本の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。(略)
 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは「試験の点数」のことなのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 試験の点数は数値です。数値ならば、他の人と比べたり、個人の経年変化をみるうえでは参考になります。でも、学力とはそのような数値だけでとらえるものではありません。「学力」という言葉をよく見てください。訓読みをしたら「学ぶ力」になります。わたしは学力を「学ぶことができる力」、「学べる力」としてとらえるべきだと考えています。数値として示して、他人と比較したり、順位をつけたりするものではない。わたしはそう思います。
 例えば、ここに「消化力」が強い人がいるとしましょう。ご飯をお腹いっぱいに詰め込んでも、食休みもしないで、すぐに次の活動に取りかかれる人は間違いなく「消化力が強い」といえます。「消化力が強いです」と人にも自慢できます。しかし、それを点数化して他人と比べたりしようとはしないはずです。「睡眠力」や、「自然治癒力」というものも、同様のものだと思います。(略)
 「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、個人的なものだと思います。「学ぶ」ということに対して、どれくらい集中し、夢中になれるか、その強度や深度を評するためにこそ「学力」という言葉を用いるべきではないでしょうか。そして、それは消化力や睡眠力と同じように、「昨日の自分と比べたとき」の変化が問題なのだと思います。昨日よりも消化がいいかどうか、一週間前よりも寝つきがよいかどうか、一年前よりも傷の治りが早いかどうか。その時間的変化を点検したときにはじめて、自分の身に「何か」が起きていることがわかります。もし「力」が伸びているなら、それは今の生き方が正しいということですし、「力」が落ちていれば、それは今の生き方のどこかに問題があるということです。(略)
「学ぶ力」もそのような時間の中での変化のうちにおいてのみ意味をもつ指標だと私は思います。(以下略)
***
 僕は、何かやろう(学ぼう)とするときは「早起き」してする。
 最近も、あることをしようと心がけているのだが、朝の起き方といい、起きてから教材を開くまでのモチベーションといい、「いまいち」なのである。
 「歳かな?」と思っているが、この文章によると明らかに「それは今の生き方のどこかに問題があるということ」で「学力が低下」したことになる。そうかあ〜???
                          
 明日の朝から、「歳かな?」などと思わず、低下しつつある学力を復活させようと思う。

 ちなみに、ブログ「内田樹の研究室」のこの文章がアップされているのは
   http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php である。