なぜ、僕はブログを書くのだろうか

 文庫「楊令伝」第3巻の解説を書いている作家・唯川恵は、その中で北方謙三について興味あることを書いていた。
 「楊令伝」の著者・北方謙三は、自分を「俺は自分がダイヤモンドではなく、ただの石ころだとわかったが、石ころだって磨けば光る」と言っていたこと。
 さらに「売れなかった時期がとても長く、編集者に書き直しを命じられた原稿用紙は、重ねると身長を超した」と話していたと紹介している。
 北方謙三と言えば、連載物を何本も同時に執筆し、唯川恵も書いているが「頭の中はどうなっているのだろう」というのは、僕も彼の本を読むたびに思っていた。
 これを読んで、北方謙三には才能はもちろん備わっているが、その上に、彼の並々ならぬ努力があって、今の超人的な執筆活動があるのだなと納得した。
 そして、北方謙三はこんなことも言っていたと紹介している。
 「書けない? そんな時は、まず1行書け、1行書いたら、それに続く2行目を書け。そうしたら3行目が見えてくる。小説はそうやって書いていくんだ」と。
               

 僕もブログを書き始めてもう少しで1年になる。
 確かに、
 ブログを書き始めてから、一日の終わりの就寝する前に「今日は何も書くことがないな」と思いつつ、パソコンに向かって、一日を振り返り、今日は「こんなことを感じたな」「こんなことがあったな」と、それを1行書いてみると、次ぎの文章が湧いてくる。
 そんな自分自身の一日の省みと整理の意味で、日記的におしゃべりブログを続けている。
 小さい時から「3日坊主」を繰り返し、それを自認している僕は、何かを始めたら、日課に強いないと続かないことをよく知っている。
 それでブログ書き込みも就寝前の日課にしているのだが、もちろん、出掛けていて環境的にパソコンに向かえない時、遅く帰宅した時などで疲れ切ってパソコンのスイッチオンがおっくうな時、さらには酔いが日課遂行の意志を砕いてしまった時などは、休み休みながら今日に至っている。

 正直、今日も「何も特別なことはなかった」と思って、パソコンを開いたら、唯川恵の「楊令伝」第3巻解説を思い出したし、その延長線上に、自分は「どうしてブログを書いているのだろう」と省みるひとときが訪れたのだ。