今日は僕も夏休み

 今日は一日、我が家・多摩実顕地でのんびりと過ごした。

◇朝、オカザキさんと散歩
 「もうハスも終わりだね」と言いながらハス池に行く。
 まだ、少しはつぼみもあったし咲いてはいたが、花びらが落ちて種が入った花托(蜂の巣状に見える)となっていた。
 


◇この暑さを、百日紅サルスベリ)が赤く咲いて、さらに暑さを感じさせる。
           


◇午後、テレビを点けたら「北の国から・87初恋」をやっていた。
 かなり以前に放映されて観たドラマだったが、ついつい観てしまった。
           
 中学3年生になった純の初恋のストーリーだが、このドラマのラストは、純が中学を卒業して東京に旅立つのだ。
 父親の五郎と妹の蛍が見送る。
 五郎はトラックの運転手に何度も何度も純をお願いする。
 蛍が、純が乗って走り去るトラックを追いかける。
 トラックの運転手が五郎からもらった謝礼の封筒を「ピン札にお前の親父の指についていた土が付いている。記念にお前が一生持っていろ」と渡す。
 純がその一万円札を見ながら、幼い時に富良野に来た時からの数々のシーンを回想する。バックに尾崎豊のI LOVE YOU の歌が流れる。
 僕はこんなシーンに弱いのだ。涙腺が刺激されテッシュを探してしまった。
 僕も妻もドラマ「北の国から」にはまったことがある。もちろん、富良野の「北の国ロケ地めぐり」にも出かけた。
           


◇作家の津島佑子さんの記事で考えたこと
 ゆっくり読みたいと思って、ためていた今週の新聞記事を読む。
 11日の東京新聞夕刊に太宰治の次女で作家の津島佑子さんが、震災後の原発事故に関する対談の中で
「4月にオーストラリアのアボリジニの人たちが国連事務総長に、自分たちの土地で採掘されたウランが日本に輸出されて、フクシマの事故の原因の一部になって悲しい。もうウランは採らせない。という手紙を送った。」と紹介していた。
 また
「これまでは経済と科学技術の恐竜時代だったと思う。恐竜は滅びるんですよ、小回りが利かなくなってコントロールを失って・・・。そんな姿を今見ている気がします。」という発言をしている。
       
 確かに、「核」という物質を人間の技術で利用出来るという幻想(えぇ、そんな制御が出来ないって今頃言われても、と思うことが多い)を抱かせるまでになった科学技術の発展は、爬虫類に例えれば「恐竜」ほどの大きさゆえに、何でも出来ると思っていたが、実際はコントロール機能が役立たなくなっていたし、
 最近のアメリカに端を発していると言われる世界中の株価下落のニュースをみても、経済そのものが巨大になった恐竜のように、当のアメリカでさえコントロール機能を失っているとみることが出来る。
 また、原発事故や経済状況以外にも、最近の大きなニュースとなっているイギリスの暴動だって、その前の中東や中国の暴動だって、一昔前では考えられない情報技術発達(ツイッターTwitterの出現)という側面があって、統治側の抑制能力が破綻していると言われている。

 さすが、津島佑子さん。現代社会の様相を分かり易い例えで言っていると感心する。
 でも、感心しただけではすまされない。大きくなりすぎて、小回りが利かなくなってコントロールを失いかけているものを、何によって「保ち合い、調和したもの」にしていくか。
 それは、経済や科学技術だけでなく、組織にも言えるし、僕自身を取り囲むもろもろのものを見直す必要に、今、迫られているのかも知れない。