福岡伸一著『世界は分けてもわからない』を読む

 妻は読書に対しては、結構ミーハーである。
 どこから情報を仕入れるのかは定かでないが、僕が想像もしないというか、決して本屋でも手にしないだろうと思うような本を読んでいることがある。
 そんな妻は最近、生物学者福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』とか、『世界は分けてもわからない』などを「面白いわよ」と読んでいる。
 福岡伸一って、たまにテレビでも見かけるあの学者が書いているのかと、そんな興味もあったが、どちらかというと、妻に対しての負けず嫌い的感覚から、読みかけの本をいったん中断して、タイトルからして分からない『世界は分けてもわからない』を、見たいと思うテレビ番組もない昨夜、読み出してみた。

 読み出すと、ところどころ興味を引く話題を分かり易く解説してくれている。
 例えば、「コンビニのサンドイッチはなぜ長持ちするか?」では、保存料のソルビン酸の働きを分かり易く説明しているし、
 「生命に部分はあるのか?」では、ヒトの眼が切り取った(みた)「部分」は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した(みて感じた)「関係」の多くは妄想でしかない。私たちは見ようと思うものしか見ることができない。そして見たと思っていることも、ある意味ではすべて空目(空耳と同じような現象で見える)なのであると論じているし、
 「消化は何のために行われるのか?」では、吸収しやすくするためというのが一般的な回答。実は、「前の持ち主の情報を解体するため」に消化酵素が徹底的に分解すのだ。食物タンパク質は、それが動物性のものであれ、植物性のものであれ、もともといずれかの生物体の一部であったもので、そこには持ち主固有の情報がアミノ酸配列として満載されている。これが突然、身体の内部に侵入すると、身体固有の情報系との衝突・干渉・混乱が生じるから、分解して意味の持たないものにするのだと言う。
 その他にも、「なぜ、視線を感じるのか?」「鼻はどもまでが鼻か?」など、ついつい読ませるが、細胞の細かい説明などもあり、途中途中はかなり飛ばし端折って、今日の往復の通勤電車の時間も費やして読み終えた。
 読み終わって正直「こんな本が(いい意味で)いま、話題なんだ」と思ったのと、「福岡伸一って、学者とは思えない文章力があるんだな」って感心した。
 でも、次ぎも読んでみようと『生物と無生物のあいだ』にまでは、今は手が伸びない。「まあぁ〜いいか。いつか読もう。」って感じ。