待望の北方謙三著「楊令伝」が文庫本に

 先日、新聞広告で北方謙三の書いた「楊令伝」15巻の文庫化が始まったという書籍広告をみた。
 宣伝広告の言葉と同じように、僕にとってもまさに「待望の文庫化」なのである。
 僕は、そんな事で、昨夜、帰宅途中に書店によって、その「楊令伝」文庫本・第一巻を買った。

 僕は3年ほど前、友達に勧められて北方謙三の「水滸伝」15巻を4ヵ月ほどかけて読んだ。僕はそれまで、北方謙三という作家はハードボイルド的な作家というイメージだけで、作品をあまり読んだことがなかった。
 ところが読み始めてみると、北方謙三の世界に僕はのめり込んでしまって、結局全15巻を夢中になって読んだ。挙げ句の果てに「三国志」13巻まで手を伸ばした。

 「水滸伝」15巻を読み終わる頃には、続編として「楊令伝」が刊行されていたが、僕は文庫化を待った。
 それは、全15巻となると、文庫本でないと経済的にも痛手だし、読書空間の満員電車の中では文庫本でないと大きさといい、重さといい、都合がわるい。そんなことで、今か今かと待ったのが、この文庫化なのである。

 「水滸伝」の続編としての「楊令伝」がどのような展開をするのかは、これからのお楽しみなのだが、「水滸伝」について触れておくと、北方謙三は、中国の四大奇書の一つとされる、108人の豪傑たちが世直しのために反乱を起こすという物語の「水滸伝」の原典を、勇敢に、そして大胆に、解体して、北方流に再構築したから、面白いのである。
 読んだ後に分かったのだが、北方謙三キューバ革命をイメージして再構築したらしく、次のような言葉が新聞に載っていた。
−−ぼくは1970年に大学の4年生だったものですから、ちょうど70年安保にはまっていて、実際に、新左翼ゲバラ派と呼ばれる連中がいたくらい、ゲバラという存在は大きかったし、なんとかキューバ革命というものを小説化したいと思っていたんですね。−−
 この様に、キューバ革命カストロゲバラをイメージさせる人物を登場させながら、北方流「水滸伝」を創り上げてしまったのだ。
 僕はその北方謙三の世界に魅せられて全15巻を読んだ。「替天行道」(天に替わり、道を行う)の旗を掲げ、一人一人が個性的に、魅力的に描かれている彼らは、腐った国を倒し、自分たちの国を作るために命をかけて戦う、まさに夢とロマンに突き進む男の物語なのである。
 そして、戦いに敗れ、夢果てたかと思ったが、散り散りになった同志が再集結する、その続編「楊令伝」を、僕はワクワクしながら、これからページをめくろうとしている。