25日のおしゃべり

 東京の桜は満開を迎えている。
 朝は晴れ間もあったが、夕方には小雨の今日の天気。
 桜が満開と聞くと、桜を見に出掛けたいところだが、今日は会の機関紙「けんさん」の発送準備で、高田馬場の事務所で仕事。
  
◇機関紙「けんさん」紙面の第一案ができる
 九州のヒデコさんが、月曜日から紙面作りに取り組んでくれていたのだが、その第一案がメールで届いた。

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 今号は、3月7日から開催されたヤマギシの一週間の合宿セミナー「特講」の特集号だ。
 参加した人や、セミナーに送り出した人、地域での動きなどを投稿してもらったら、予想以上に記事が集まって、8ページ構成となった。
 これから、編集委員のみんなで校正して、今週中に最終版にする予定。
 来週早々に印刷して、来週中には全国の会員宅に発送したいと思っている。

 

◇今日は発送準備
 タックシールを打ち出しに、キョウコさんが来てくれた。
 先ずは、データーを最新版に修正して、各ブロック毎に打ち出してもらった。
 僕は、第三種郵便の封筒印刷したり・・・。

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◇夕方、書籍購入
 豊里の孫が、最近、歴史に興味があるらしい。
 それなら、歴史物の本を送ってやろうと、息子に問い合わせたら「角川まんが学習シリーズ・坂本龍馬がいいという。
 書店に寄ったら、北方謙三の「 チンギス紀 」シリーズの第十巻『 チンギス紀(十)星芒(せいぼう) 』が、平積みされていた。
 そんなことで、2冊購入。

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暖かい春の陽射しの今日も桜の話題

 朝、ファーム町田店の開店準備に7時から10時まで入って、その後は自室でテレワーク。
 会の機関紙「けんさん」紙面づくりを、九州のヒデコさんが取り組んでくれている。
 ラインとライン通話を使いながら、連絡を取り合っている。

 

 夕方、スマホの万歩計を見たら、自室でのテレワークのためか、まだ2000歩ちょっと。

 テレビでは、東京は桜が「満開」と報じている。
 都心は満開でも、ここ町田はちょっと遅いはず。
 しかし、気になって、いつもの散歩コース、町田の桜の名所「尾根緑道」へ行ってみた。

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 樹のよっては、満開に近いのもあるが、全体的には6分~8分咲きといった感じかな?

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 今年も「さくら祭り」は中止になった。
 静かな花見もいいが、桜の樹の下が賑やかな方が、僕は好きだ。

 

 桜の樹の所々にあるコブシの白い花もきれい。

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 こちらは、木蓮

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 これは、もしかして? シャクナゲかな?

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 小さな花を豊かに咲かせているのは、雪柳。

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 陽が長くなった。

 たっぷりと花々を楽しんで、5時半からのファーム町田店の閉店整理に入った。

 スマホの万歩計をいま見たら12000歩を超していた。



 

今年は「赤坂サカスの三春桜」の満開を逃す

 昨日の日曜日は、まるで台風並みの雨と風の「春の嵐」の一日。
 朝、ファーム町田店の開店準備に入って、午後から夜にかけて、自室で会の機関紙「けんさん」の編集。
 今日は、高田馬場の事務所に行って、昨日からの編集の続き。
 午後に、やっと編集の一段落がついて、紙面づくりを担当してくれる九州のヒデコさんにデータを送信した。

 

 夕方、毎年楽しみにしている赤坂サカスTBS前の枝垂桜を思い出して、「今年はどうだろう?」と、帰宅の経路をちょっと変更して寄ってみた。
 なんと残念、今年はもう葉桜になりかけていた。

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 この枝垂桜は、国の天然記念物で日本三大桜の1つとして知られる福島県三春町にある「ベニシダレザクラ」の巨木・三春滝桜の子孫樹なのだ。
 僕は、毎年、この桜をカメラに納めている。
 これが、昨年。

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 これが、一昨年。

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 今年は、満開を逃してしまった。

 

 夕方になって、気温が下がり寒くなってきたので、帰ろうと思ってTBS側を歩いていたら、桜を描いている女性がいた。

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 後ろから覗いてみたら、凄い。幻想的な描き方だ。

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3月20日春分の日のおしゃべり

 今日は春分の日。4月後半のような気温が続いている。
 でも、明日は低気圧が来て、先週のような雨風が強い一日となるだろうとの予報。

  

◇会の機関紙「けんさん」の編集

 今月末までには紙面を完成して、全国の会員宅に発送したいと思って編集を始めた。
 3月7日~14日で開催されたヤマギシの合宿セミナー「特講」に参加した人たちの感想の投稿原稿が届きだしたので、その編集から始めている。
 「特講」に送り出した人からも、どんな思いで送り出したのかの投稿原稿も届きだした。

 それぞれが、それぞれのドラマを紡ぎながらの「特講」だったことが伺える。

 仙台の会員には、東日本大震災から10年が経過しての原稿を依頼している。

 先ほど、お風呂に入っていたら、突然揺れた。震源地は宮城県沖で、宮城では震度5強だという。原稿依頼しているニシダさんも宮城県仙台市在住だ。

 

◇100分de 名著
 僕は毎週月曜日の夜、NHK「100分de 名著」を楽しみにして観ている。
 今月は『災害を考える』として、4冊の書書を、批評家であり東工大学教授の若松英輔さんが、解説しながら紹介している。
  1週目は、寺田虎彦の『天才と日本人』
  2週目は、柳田国男の『祖先の話』
  3週目は、セネカの『生の短さについて』
  4週目は、池田晶子の『14歳からの哲学』
 3週目まで観たのだが、文字でしっかりと若松さんの解説を確認しようと、テキストを買ってきて読みだした。

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 若松さんは、この4冊を読み解く鍵となるテーマは「つながり」だという。
── 天災の猛威は、私たちが「自然」とのつながりを、いかになおざりにしてきたかという厳しい現実を突きつけました。(中略)東日本大震災のあとも、豪雨や台風による災害がいくつも起きました。そして、今、私たちは新型コロナウイルス感染症という新たな危機のただなかにいます。目に見えるつながりや利害関係にもとづいた「関係」や「交わり」は、ときに非常に脆いものであることも経験してきました。──
 このように述べて、4冊の書籍から、私たちは何を教訓として得て、これからを、どう生きたらいいのかを、読み解き解説している。
 僕は特に、1週目に取り上げた寺田虎彦の『天才と日本人』の解説を、テキストでじっくりと考えながら読んでいる。
 明治から昭和にかけての物理学者であり、随筆家であり、俳人の寺田虎彦という人物の洞察力の鋭さに驚いている。

 

◇月一回定例の「男達のZoom交流研鑽会」
 毎月第3金曜日の夜7時から9時で、オンライン研鑽会をやっている。
 以前は、高田馬場の東京案内所に寄っていたのだが、コロナ禍となってからオンラインでやっているのだ。
 オンラインになったので、九州や滋賀や金沢からの参加も可能になって、意外な効果をもたらしている。
 昨夜、話題として投げかけたテーマは「突然襲った東日本大震災、あれから10年が経過、そしていまコロナ。この2つの予測だにしなかった出来事。自分自身の生活、生き方、生き甲斐に影響があったのか、あったと感じているとしたらどんなことか、2つの出来事を自分に引き寄せて、いま何を感じているか。」こんな内容だ。
 それぞれが、10年前のあの時、どこで何をしていたか、その時、何を思ったか等などを出し合いながら、あれ以降の自分の心の変化などを考えてみた。
 オンラインでは難しいかと思ったが、活発に出されて、自分と向き合う交流研鑽会になった。

 

◇町田のソメイヨシノも咲き出した
 我が家から歩いて15分ほどの桜の名所で僕の散歩コースの一つの「尾根緑道」の桜も咲き出している。

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 遊歩道わきの畑の菜の花は満開。桜の開花を待っている。

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 この位置から眺める風景の、菜の花と桜のコントラストが最高なのだ。

 満開の桜が待ち遠しい。


 遊歩道を7~8分歩いたところに、満開の桜の樹があった。
 「越の彼岸」という桜だった。

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久々に「蕎麦打ち」をする

 我が家の愛和館(食堂)で、いつも食事を用意してくれているミッコちゃんが、「蕎麦打ちをしてみたい」と、僕とカワハラさんに声がかかったのが2週間前。
 以前は、栃木県の大田原農場で作ったそば粉で、年末には蕎麦打ちをやっていたが、3年ほどやっていない。
 やっていた時も、ササキさんという蕎麦打ち名人がいて、その段取りと指導のもとでやっていたので、急きょ、YouTubeを観ながら予習をして、今日の蕎麦打ち。
 そば粉は、長野県のヤマギシの村・飯田実顕地のタカハシさんが送ってくれたものだ。


 蕎麦といったら、やっぱり「二八蕎麦」だ。
 僕とカワハラさんが、先ず、思い出しながらやってみる。

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 やりだしたら、なんとなく身体が覚えていて感覚が蘇る。

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 僕とカワハラさんとシマダさんが、「コネ」と「延し」をやって、トモコさんとミッコちゃんは「切り」を進めた。

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 女性陣の2人は「切り」をするのは始めただというが、流石に毎日、包丁を使っているだけあって、コツを見出すのが早い。

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 最後のひと玉は、ミッコちゃんも「延し」をしてみたいと、カワハラ師匠(?)の指導で・・・。

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 そんな、こんなでやった4Kgのそば粉を打った「二八蕎麦打ち」だったが、なかなかいい出来上がりだ。

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 今日の夕食メニューに、なんとか合格。

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 反省点は、「コネ」が少々不十分だったと茹でて分かったが、味はそれなりに美味しかったと思う。
 コロナ、コロナで何もかも自粛と行動を控えているが、こんなイベントを、人と共に、ああでもない、こうでもない、こうしよう、このほうがいいよ・・・と、挑戦しながらやることが楽しい。みんな、なんとなく元気になる。

高田馬場でも桜が咲き出した

 東京は、4月後半の気温との予報通り20℃。
 靖国神社ソメイヨシノの標本木による、東京の開花宣言は14日だった。
 今日は、高田馬場の案内所で仕事をしたので、昼過ぎに休憩を兼ねて、僕が毎年、楽しみにしている高田馬場の桜の開花状況調査。

 

◇朝は「なばな」の袋詰めパッキング
 高田馬場に行く前に、朝7時からファーム町田店の開店準備に入ったのだが、今朝は、埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地から、ミチヨちゃんが収穫したばかりの「なばな」が、コンテナ4つ届いていた。
 ミチヨちゃんも袋詰めパッキングまでは手が回らなかったとみえて、収穫そのままの状態だ。新鮮、みずみずしい。
 10時までに高田馬場の案内所に着きたかったので、一心不乱のパッキング作業となった。

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高田馬場の桜開花状況
 案内所から新宿北郵便局に行く途中に、玄国寺というお寺がある。
 その庭にあるのが「しだれ桜 」
 まだ、満開までとはいってないが、きれいに咲いていた。

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 新宿北郵便局前の明治通り向かいに、学習院女子大学がある。
 ここの赤い門と桜は、毎年、見ごたえがある。

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 この門は、『学習院旧正門』で国指定重要文化財である。

 明治10年神田錦町にあった華族学校(現学習院)の正門として建てられたもので、昭和24年にここに移設された。
 門は鋳鉄製で、左右に脇柱と袖塀をもち、透かしの唐草紋様や蕨手紋様が見事だ。

 桜は、やっと咲き出したって感じの2分咲きかな。

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 帰りに、戸山公園内を通ったのだが、隣接してある新宿スポーツセンター前の2本の桜が満開だった。

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 早い。もう風に花びらが舞いだしていた。

 

 神田川の桜も気になったが、今日はここまで。
 きっと川岸の桜は、水面の冷たさでまだ咲き出してないだろう。

23年ぶりにオリジナルアルバムを出した岡林信康さん

 ヤマギシ会の1週間の合宿セミナー「特別講習研鑽会(特講)」は、昨年初めからのコロナ禍の影響で開催を自粛していたのだが、「我が子が社会人として出発する前に受講させたい」という開催を望む声が多くあり、出来る限りのウイルス感染防止策を施して、3月7日~14日の日程で開催され、昨日の日曜日に終了した。

 

 その特講開催日(3/7)のブログに書いたが、岡林信康さんが23年ぶりにオリジナルアルバム『 復活の朝 』を発売というニュースを、ネットのYAHOOニュースを見て知った。
 「どんなアルバムなのだろう」と興味津々、早速、アマゾンで注文。
 このアルバム、なんと一時在庫切れという話題のアルバムになっている。

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 YAHOOニュースには、
 45年前に都会を離れ、京都の郊外に居を構え、畑仕事をしながら、まさに「晴耕雨読」の音楽活動を続けている岡林信康さん。

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 「もう歌は書けないと思っていた」という昨春、新型コロナウイルスにまつわることから新曲が生まれ、アルバムが出来上がったらしい。
 アルバムのラストを飾る『 友よ、この旅を 』は、学生運動の時代、若者たちがこぞって歌った代表曲『 友よ 』(68年発表)から半世紀後のアンサーソング
 「反体制歌手みたいなレッテルを貼られて、その象徴が『 友よ 』。それが嫌で嫌で。結局50年近くコンサートでは歌ってない」という曲に、「夜明けが来てこの闇が去ればバラ色の明日がやってくる、みたいな幻想を振りまいてるようなところが気になってた。そうじゃなくて、夜明けが来てもまた日没が来て夜が始まる。で、また朝になる。そういうことを繰り返していくのが人生という旅なんだ。そういうことを今回の歌で言っとこうかなと。ある人に言わすと、この曲で『 友よ 』を成仏させたんですねって。」こんなコメントも載っていた。

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 この「フォークの神様」として昭和40年代に、若者から熱狂的な支持を集めた岡林信康さん。
 実は、50年前の24歳の時に、ヤマギシ会の「特講」を受講している.
 それが、ネット百科事典『ウィキペディアWikipedia)』などに、次のように記載されている。
── 岡林は人や街を嫌い、三重県で農業共同体を営んでいた山岸会を見学し、「ヤマギシズム」に傾倒。自然の環境に身を置こうと岐阜県中津川近くの山村に移り住み、約1年後京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活を始めるのである。──
 また、「源頭の風景を求めて・・・」というブログ
 (sokoujin.blog90.fc2.com/blog-entry-104.html)にも、
── 19歳の冬、和歌山県奥地の村で、ミカン刈りをしつつヤマギシズムを体験する合宿、「若人楽園村」に参加することにした。── と書いているブログ筆者は、岡林さんについて ── フォーク歌手岡林信康が、ヤマギシ会の「特講」に参加した後に、『 申し訳ないが気分がいい 』という名曲を作っている。── と記している。

 

 確かに、僕が1984年に「特講」を受けた時に、「岡林信康が特講を出発してから作った曲だよ。」と紹介されで、「特講」の最後の晩にみんなで歌った覚えがあるのが『 申し訳ないが気分がいい 』という曲だった。
──『 全ては此処につきるはず どうしてこんなに 当たり前のことに 今まで気づかなかったのか 』──
 こんなフレーズがある曲だ。
 僕は36歳の時に「特講」を夫婦で受講したが、この言葉がぴったりの心境だった。
 当時、大手電機会社で企業戦士としてもてはやされながら、一方で企業内労働組合の役員もやって、家に帰るのは深夜。家族との夕食は稀にするだけ。休日も「仕事!」と家族サービスも子育てもパス。それが通用した時代だった。
 「特講」受講前は、当たり前と思っていたことに、「本当はどうか?」と自分に問いかける1週間で、一言でいえば束縛や執着からの解放。「自由になった。やろうと思ったら、何でもできる自分を見つけた。」そんな記憶がある。

 

 岡林信康さんの『 友よ 』を、当時住んでいた川崎市歌声喫茶エルサルバドル」で熱く歌ったり、組合活動の中で青年婦人部の若者たちと飲んで肩を組み歌った記憶もある。
 そして今、岡林さんが半世紀後にアンサーソングとしてのアルバム『 復活の朝 』のラストを飾る『 友よ、この旅を 』を聴く。

 

 この半世紀の時の流れの、不思議なめぐり合わせ。