古代エジプト展で神々の世界に触れる

 現在、東京・両国の江戸東京博物館『国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト天地創造の神話』が開催されている。
 新型コロナウイルス感染拡大の緊急事態宣言が解除されたら行こうと思っていたが、東京をはじめとした首都圏1都3県は3月7日解除が2週間延期されて3月21日までとなっている。しかし、東京はここ数日は日毎の感染者確認が300人台と増加さえ感じられる様相。
 4月4日までの開催なので閉幕近くは混み合うだろうと思って、緊急事態宣言解除を待たずに江戸東京博物館に行ってみた。

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 世界屈指の博物館であるドイツのベルリン国立博物館から、約130点の作品を持ってきての天地創造と神々の世界」「ファラオと宇宙の秩序」「死後の世界」と、天地創造と再生・復活にまつわる古代エジプト神話の世界をテーマに展示というだけあって、なかなか観応えのあるものだった。
 この展覧会の凄いところは、展示物のほとんどを写真撮影OKで、説明文も解りやすく、古代エジプトの神話に疎い僕でも興味湧く内容だった。
 さらに、古代エジプトの石や金属の加工の見事さと芸術性に驚かされる。
 神話を音声ガイドで聴き、説明文を読む中で、古代エジプトの宗教観は、我々日本人の宗教観に近く、イスラム教やキリスト教のような唯一絶対神を崇めるのではなく、神羅万象に宿る神々を尊崇するといったところだ。ハヤブサやネコ、ジャッカルなどの身の回りの動物も神、あるいは神の使者とされていたことが分かった。

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 展示は「天地創造の神話」から始まるのだが、展示の中には死者の魂が冥界へ導かれるための「ガイドブック」とされた「死者の書」があったり、ミイラにする前の死体から取り出した内臓を保管したカノポス容器が揃って見られたりと、古代エジプトの神話の世界を感じながら、その展示物の巧妙な造形と装飾に驚く。
 古代エジプト神話を詳しく記すことは出来ないので、会場でスマホに納めてきた展示物を何点かアップする。

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 まだまだ、紹介したい展示物があるが、この辺で。

 この展覧会は、東京都江戸東京博物館にて4月4日まで開催。 その後、4月17日か京都市京セラ美術館で、7月10日から静岡県立美術館、そして9月19日から東京富士美術館にて開催されるので、ぜひ、おススメの展覧会である。

 

 

西條奈加著『 まるまるの毬 』を読む

 西條奈加って、どんな作家のなのだろう。今回、直木賞を受賞したのに僕はまだ彼女の作品を読んだことがない。
 直木賞受賞作の『 心淋し川 』も読んでみたいが、先ずは文庫化されている吉川英治文学新人賞『 まるまるの毬(いが)を読んでみた。

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 時代小説では、『 あきない世傳 金と銀 』シリーズを書いている高田郁が好きなのだが、西條奈加もほのぼのとした家族愛というか、江戸庶民の暮らしの中の温かい人間模様を描いていて、ますます直木賞受賞作の『 心淋し川 』が読みたくなったって感じ。

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 物語は江戸時代後期。
 旗本の次男という武家の身分を捨て菓子職人になった治兵衛。
 妻子を連れて全国の菓子を求めて旅をしながら技術を習得。
 各地を巡って16年。旅の途中で妻がなくなり、江戸に戻って開業。
 店を手伝う娘は左官職人と所帯を持って孫ができるが出戻り。
 その娘のお永と孫お君の親子三代で営む和菓子屋「南星屋」が、この物語の舞台。

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 商う和菓子はどれも各地で覚えた庶民の懐に優しいものばかりで、三人で作れる量の「売れ切れ御免」の商売だが、日ごとに変わるお菓子を楽しみにしている人気店。
 しかし、治兵衛の血筋には、お上と繋がるとんでもない秘密がある。
 孫娘の縁談も、その血筋が影響して事件が起こる。
 窮地に立たされる三人だが、全国で習得した和菓子の知識と、今までの地道で正直な商売で築いた人間関係と、血の繋がりはないが僧侶となったお菓子好きの兄も含めた家族愛で、その苦境を乗り越え、最後には治兵衛独自の和菓子に辿り着く。
 そんな、ほのぼのとした気分で、とても心地よく読み終わることができる物語だった。

ボケ・モクレン・コブシ・そして「さくら蕎麦」

 今日は金曜日で、9時から毎週定例のZoom研鑽会があるし、夕方から雨との予報だったので、その前に健康維持のためにと朝7時から散歩に出る。


 春の花々がきれい。
 ボケの花も満開。

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 その奥に咲いてるのは、白モクレンかな?

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 そんな花々を楽しんで散歩から帰ったら、キミエさんが「コブシがきれいな公園があるよ。」という。
 それならと、Zoom研鑽会が終わった昼少し前に、教わった公園へ。
 見事なコブシの大木だ。

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 コブシの花を満喫して、近くの「山桜」というお蕎麦屋さんで、いま、季節限定の「さくら蕎麦」をやっていると地域のコミュニティ紙に載っていたことを思い出して寄ってみた。

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 おお~、ある、ある。

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 なんと「一日五食限定」だ。セーフ!
 せっかく来たのだからと「春の天ぷら四種盛り」もお願いする。

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 これが「さくら蕎麦」だ。桜の葉を蕎麦に練り込んだものらしい。

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 「春の天ぷら」は、「菜の花」「フキノトウ」「ウルイ」「芽キャベツ」だった。 

今日は3月11日、東日本大震災10年

 今日は、3月11日だ。
 東日本大震災、もう、あれから10年か」と思うのだが、避難されている方は、現在でも、なお4万人を超えているという。

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 ここ数日、テレビや新聞は東日本大震災福島原発事故と、その後についての特集を、いろいろな角度から検証し取り上げている。
 昨夜は、NHKETV特集原発事故“最悪のシナリオ”〜そのとき誰が命を懸けるのか〜』の再放送番組を観た。原発事故発生直後から、官邸や米軍、自衛隊などが、それぞれ極秘裏に「最悪のシナリオ」の作成に着手していたというその内容で、改めて10年前の実態を知った。

 

 10年前には、震災一週間後に、仙台の知人宅にワゴン車にヤマギシの生産物を積んで届けたことを思い出す。
 その食料を、近所の人に集まってもらって分けていた知人の姿。
 津波の被害を受けた海岸近くの若林区にも行ったが、車があちこちに「✖」印が付いて無残な姿で放置されていた。知人が「あれが、車内に被災した人がいた印だよ」と教えてくれて、僕は言葉が出なかった記憶がある。

 

 今朝、ロビーで新聞を見ながら何人かで、「地震の時、どこにいた?」と話題になったり、計画停電の話になったりしたが、10年という時の流れに、僕自身の記憶と意識の風化は否定できない。

 

 そんな意識の風化に鞭打つ意味もあって、僕は毎年、本棚から手に取ってページをめくる本が2冊ある。
 復元納棺師の笹原留似子さんが書かれた『おもかげ復元師』と『おもかげ復元師の震災絵日記』である。

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 震災以降、多くの震災関連の本が出たし、何冊かは目を通したが、この著書2冊は、また別の視点から震災の実態を知り得る本である。
 映画『おくりびと』で納棺師という職業は知られるようになったが、笹原さんは日本で数少ない復元納棺師なのだ。
 笹原さんは、岩手県北上市で納棺や復元納棺の会社を経営している。
 その技術、損傷の激しい遺体でも生前の表情に復元する技術を、あの震災、津波で亡くなった人達の復元に、ボランティアで取り組んだ。
 その活動を綴ったノンフィクション書籍なのである。
 凄い活動を笹原さんはされたのだと思い知らされるし、綴られている「復元納棺師」としての、あの大震災後の日々のエピソード一つ一つに、心を揺り動かされる。
 笹原さんの、その時その時のドラマ、遺族を気づかう心、死者と遺族への深い深い思いやり。

 死とは何か。今、生きているとは何か。そんなことを考えさせられる。
 ぱらぱらとめくっていると、10年前に読んだ時の感動が、再び蘇ってくる。
 
『おもかげ復元師の震災絵日記』には、亡くなった人の復元スケッチ絵と一緒に、その時の笹原さんが感じたことを、亡くなった人への祈りも込めて、その様子が綴られている。

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      「寝ているみたい・・・」

      「起きて!!」

       お母さん

      子供さん達の声が

      聞こえますか?

 

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      「漬物 名人だった・・」
      「もう 食えねえんだな・・・」
      ご主人が ポツリ ポツリと
      お話し して下さる
      奥さまの思い出・・・。
      棺にすがって 泣く御主人の
      背中をきっと となりでさすってる。
      奥さま、きっとね。

 

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       「あいしてるよ・・・」

       奥さまの言葉

       御主人に届け・・・!!

 

作家・小沢信男さんの訃報

 今朝の朝刊に、作家の小沢信男さん(93歳)が、3日午後に死去されたとの記事が掲載されていた。

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 小沢さんとは、三重県ヤマギシの村・春日山実顕地のミサオさんの紹介で、2度ほど谷中の自宅に伺ってお話をしたことがある。
 今年の年賀状の中に、小沢さんからの賀状がなく気になっていた。
 とても温和で、いつも笑顔で話す小沢さんだった。

 

 実は小沢信男さんは、ヤマギシ会の特別講習研鑽会(特講)を受けているのである。

 10年前、初めてモンゴルで特講を開催したことをお知らせしたら、「モンゴルでの特講とは、楽しいニュースです。ご活躍を」と返信が届いた。

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 小沢さんの代表作は、2001年に出された画家・山下清の評伝『裸の大将一代記 −山下清の見た夢−』筑摩書房)なのだが、いい著書だなあと思った記憶が残っている。

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 2011年に出された編集者であり評論家でもある津野海太郎さんと黒川創さんとの共著小沢信男さん、あなたはどうやって食ってきましたか』というタイトルの本で、ヤマギシ会について触れていた。
──「・・・いまは、そういう共同というものはなくなってきて、私有ばかりでしょ。だけど共有ってものがあるんだ。たとえばヤマギシ会よ、無所有というのはね。スターリニズムソビエトがつぶれるのはあたりまえだけど、無所有とか共有とかいうユートピア、それは考えられる。人間は可能なことを考えるんだから! 戦後のことを思えば不可能でない。私は明るく暮らしてます。あははは!」──

 

 さらに、小沢さんは2001年8月1日付の朝日新聞夕刊の「一語一会」という欄に『だれのものでもない』という題で「特講」に参加したときの様子と、自分の「特講に対する印象」を書いている。
──「たしか東京オリンピックのあった年だから、三十七年もむかしのこと、山岸会の特別講習会に私は参加した。農業を基盤とする山間の共同体に、一週間泊まり込んだのだった。洗面所の歯磨きチューブを置いた棚に、こんな小さな張り紙があった。『だれのものでもない』
 なんだいこれは。いかに無所有社会とはいえ朝からお説教かい、と反発をおぼえたが、そのうちこれが可笑(おか)しみになった。だれのものでもない歯磨きチューブから、朝ごとに必要量を消費して、口のまわりを白くしながらニヤニヤ笑えた。
 現にいまでも、こうして思い出せば、愉快をおぼえる。あの小さな張り紙だけでも私にはなつかしい里だ。
 一週間のうち、初めの三日は腹を立てていた。徹夜で討議したはてに、最初の答えと同じ結論になったりする。あいにく私は町場育ちで気が短い。が、根は愚鈍につき、ようやく気づいた。目から鼻へ抜けるのが理解ではないのだな。だれのものでもないとは、私有の否定だけではなくて、共有でもないのだな。
 たとえばの話、地球の皮、太初このかたこの地べたが、ほんらいだれかのものであるはずがない。と思えば胸がせいせいしませんか。その私有を忽(たちま)ち正当化する理論があるならば、眉(まゆ)に唾(つば)をつけておこう。私有を廃して国有にしてみても、しょせん五十歩百歩だったという実験にも、八十年はかかるのだものね。
 人間の命もまた、国家や組織や会社なんかに所有されるものではない。とは、こんにちだいぶ自明の理になってきた。
 だが、さて、こうして七十余年生きてきた私の命が、あの洗面所の小さな張り紙が告げるように、だれのものでもない、つまり私のものでないとすると・・・?」──

 

 小沢さんの旅立ちに 合掌

3月7日・日曜日のおしゃべり

◇今日から合宿セミナー「特講」
 今日は3月7日だ。
 昨年のお正月以降、コロナ感染拡大の影響で開催を自粛していた一週間の合宿セミナー「特講」を、久しぶりに開催で、今日から三重県で始まった。
 感染防止を十分に考慮しての開催。
 全国の会員から期待されての開催。
 開催の様子を、会場となっている三重県ヤマギシの村・豊里実顕地のゴトウさんがら、夜の8時にZoomで報告してもらった。

 今回は若い世代が多い。

 これから、どんな一週間の「特講」になるのか楽しみだ。

 

岡林信康が23年ぶりにオリジナルアルバム「復活の朝」を発売
 ネットでYAHOOニュースを見ていたら、こんな記事を見つけた。

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 昭和40年代、「フォークの神様」として熱狂的な支持を集めた岡林信康
 45年前に都会を離れ、京都の郊外に居を構え、畑仕事をしながら、まさに「晴耕雨読」の音楽活動。

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 「もう歌は書けないと思っていた」という昨春、新型コロナウイルスにまつわることから新曲が生まれ、アルバムが出来上がったらしい。
 アルバムのラストを飾る『友よ、この旅を』は、学生運動の時代、若者たちがこぞって歌った代表曲『友よ』(68年発表)から半世紀後のアンサーソング
 「反体制歌手みたいなレッテルを貼られて、その象徴が『友よ』。それが嫌で嫌で。結局50年近くコンサートでは歌ってない」という曲に、「夜明けが来てこの闇が去ればバラ色の明日がやってくる、みたいな幻想を振りまいてるようなところが気になってた。そうじゃなくて、夜明けが来てもまた日没が来て夜が始まる。で、また朝になる。そういうことを繰り返していくのが人生という旅なんだ。そういうことを今回の歌で言っとこうかなと。ある人に言わすと、この曲で『友よ』を成仏させたんですねって。」こんなコメントも載っていた。
 どんな曲なのか、興味がある。

 

◇桃の花がきれいだ
 午前中はファーム町田店のスタッフに入って、精肉でパッキングをしたり、開店準備をしたのだが、夕方、スマホの万歩計がまだ2500歩ちょっと。
 そんなことで夕方、健康維持のために速足散歩。
 東京の桜の開花は15日頃との予報もあるが、蕾はまだ固い。
 桃の花がきれいに咲き出していた。

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◇散歩で見つけた石仏
 いつも歩かないコースを歩いていたら、こんな石仏や石塔が並んでいた。

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 右から1つ目が馬頭観音。2つ目が「地神塔」。3つ目が庚申塔」。

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 こちらも右の庚申塔のとなりに「地蔵」2体と、次が秋葉山供養塔」で、一番奥が「石祀」と説明板に記されていた。

 一番古いのが、この庚申塔で、元禄2年(1689年)のものらしい。

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 ちなみに元禄2年は、松尾芭蕉奥の細道の旅を始めた年である。

 

◇妻たちが「竹明かり」作りに挑戦
 妻が朝、「いま、竹明かり作りに挑戦しているのよ。」と、妻たちがやっているデイサービスに寄ってくる認知症の人たちと、竹明かりを作り始めたことを話してくれた。
 「竹明かりか、面白そう!」 そう思って、行ってみた。

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 長さを決めたり、節を抜いたり・・・。

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 YouTubeで検索しながら、こうでもない、ああでもない、こうした方がいい・・・と暫し楽しむ。
 5月末を完成目標にして、いろいろな団体が公園に持ち寄って「竹明かりイベント」を開催するのだという。
 

映画でモンゴルの大自然に触れる

 知人から「モンゴルの大自然に触れられる映画を、いま公開されているよ。」と言われて、今週初めの夕方、早速、観に行った。

 

 映画のタイトルはターコイズの空の下で 』
 知人の言葉通り、モンゴルの壮大なロケーションを舞台にしたロードムービーで、「モンゴルの大自然を満喫できる映画」であることは確かだった。

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 物語は、主人公のタケシ(柳楽優弥・やぎらゆうや)という青年が、モンゴルでの大自然の中で、モンゴル人に触れながら旅を続けるなかで、変貌し、自分を発見し、成長していくというもの。
 主人公のタケシには両親がいない。そのために祖父の大企業経営者・三郎(麿赤兒・まろあかじ)に甘やかされて育ち、贅沢三昧の自堕落な生活を送っている。
 老い先長くない三郎は、自分の後継者がタケシだけなので、そんなタケシが気になっている。
 そんなある日、三郎が所有する競走馬が盗まれた。犯人はモンゴル人のアムラ。
 三郎は、犯人がモンゴル人と知って、罪を許し身元引受人となり、アラムにタケシをモンゴルに連れて行くように依頼する。
 三郎には、第2次世界大戦終了時にモンゴルで捕虜生活を送ったことがあり、その過酷な労働の中でも、現地の女性と親しくなり娘ができ、生き別れしているという過去がある。
 アムラとの出会いをきっかけに、三郎は生き別れた娘を捜すため、タケシをモンゴルへ送り込むのだ。
 言葉も通じず、価値観も異なるアムラとともに、戸惑いながら旅を始めるタケシ。

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 雄大なモンゴル平原の中を、タケシとアムラはポンコツバンで、60代となっているであろう日系女性の三郎の娘を探す。
 しかし、実はアムラはモンゴルでも馬泥棒として指名手配されていた。
 旅の途中で、警察に追われてアムラが逮捕され、タケシは一人になる。
 野宿を余儀なくされて狼に遭遇し、来ていた衣服を棒に巻いてガソリンかけ火をつけての戦い。
 ケガをしたタケシを親切に介抱してくれた妊婦が、ゲルの中で産気づき、壮絶な出産にやむなく立ちあう体験。
 そんな数々の体験のなかで、タケシは成長していく。

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 最後は、三郎の娘に辿り着き、携帯電話で病院のベットに横たわる危篤の三郎に「サブロウ・オトウサン」と、娘の声を聴かせる。

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 壮大な自然の中で、モンゴル人のセリフを極力抑えた語り口がいい。
 見知らぬ旅人への親切さ、激情型で計画性がなく、思いついたら行動するモンゴル人気質(失礼)も、よく描かれていた。
 物語の展開の速さというか、雑さに、「どうして、そうなるの?」と戸惑う部分もあるが、それはそれとして、雄大なモンゴルの大自然をたっぷりと味わることができる映画である。

 

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 蛇足になるが、壮大な草原の中で放尿するシーンが何回かある。
 ドライブインのトイレなどない大草原では、当たり前の行為。
 タケシは最初、気恥ずかしそうに車の陰で放尿するが、徐々に慣れて、アムラと並んで堂々と放尿。
 僕も、モンゴルに行ったときは、たびたび同じようにした行為だ。
 実に気持ちいい行為なのである。
 ハーブ系の香りが風に流れてきて、それを頬に受け、遠くの山並みを望みながらの行為。
 あの感覚は、忘れられない。
 
 最後に「ターコイズ」について。
 日本名は「トルコ石」で装飾品に使われる。身につけることで、揺るぎない信念を貫き、夢や目標を達成させるパワーストーンともいわれている。 さらに、この石は『友情の石』。人にプレゼントし、されることにより、心と心をつなぐ絆をよりいっそう深め、パワーアップさせる石ともいわれているそうだ。