作家・小沢信男さんの訃報

 今朝の朝刊に、作家の小沢信男さん(93歳)が、3日午後に死去されたとの記事が掲載されていた。

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 小沢さんとは、三重県ヤマギシの村・春日山実顕地のミサオさんの紹介で、2度ほど谷中の自宅に伺ってお話をしたことがある。
 今年の年賀状の中に、小沢さんからの賀状がなく気になっていた。
 とても温和で、いつも笑顔で話す小沢さんだった。

 

 実は小沢信男さんは、ヤマギシ会の特別講習研鑽会(特講)を受けているのである。

 10年前、初めてモンゴルで特講を開催したことをお知らせしたら、「モンゴルでの特講とは、楽しいニュースです。ご活躍を」と返信が届いた。

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 小沢さんの代表作は、2001年に出された画家・山下清の評伝『裸の大将一代記 −山下清の見た夢−』筑摩書房)なのだが、いい著書だなあと思った記憶が残っている。

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 2011年に出された編集者であり評論家でもある津野海太郎さんと黒川創さんとの共著小沢信男さん、あなたはどうやって食ってきましたか』というタイトルの本で、ヤマギシ会について触れていた。
──「・・・いまは、そういう共同というものはなくなってきて、私有ばかりでしょ。だけど共有ってものがあるんだ。たとえばヤマギシ会よ、無所有というのはね。スターリニズムソビエトがつぶれるのはあたりまえだけど、無所有とか共有とかいうユートピア、それは考えられる。人間は可能なことを考えるんだから! 戦後のことを思えば不可能でない。私は明るく暮らしてます。あははは!」──

 

 さらに、小沢さんは2001年8月1日付の朝日新聞夕刊の「一語一会」という欄に『だれのものでもない』という題で「特講」に参加したときの様子と、自分の「特講に対する印象」を書いている。
──「たしか東京オリンピックのあった年だから、三十七年もむかしのこと、山岸会の特別講習会に私は参加した。農業を基盤とする山間の共同体に、一週間泊まり込んだのだった。洗面所の歯磨きチューブを置いた棚に、こんな小さな張り紙があった。『だれのものでもない』
 なんだいこれは。いかに無所有社会とはいえ朝からお説教かい、と反発をおぼえたが、そのうちこれが可笑(おか)しみになった。だれのものでもない歯磨きチューブから、朝ごとに必要量を消費して、口のまわりを白くしながらニヤニヤ笑えた。
 現にいまでも、こうして思い出せば、愉快をおぼえる。あの小さな張り紙だけでも私にはなつかしい里だ。
 一週間のうち、初めの三日は腹を立てていた。徹夜で討議したはてに、最初の答えと同じ結論になったりする。あいにく私は町場育ちで気が短い。が、根は愚鈍につき、ようやく気づいた。目から鼻へ抜けるのが理解ではないのだな。だれのものでもないとは、私有の否定だけではなくて、共有でもないのだな。
 たとえばの話、地球の皮、太初このかたこの地べたが、ほんらいだれかのものであるはずがない。と思えば胸がせいせいしませんか。その私有を忽(たちま)ち正当化する理論があるならば、眉(まゆ)に唾(つば)をつけておこう。私有を廃して国有にしてみても、しょせん五十歩百歩だったという実験にも、八十年はかかるのだものね。
 人間の命もまた、国家や組織や会社なんかに所有されるものではない。とは、こんにちだいぶ自明の理になってきた。
 だが、さて、こうして七十余年生きてきた私の命が、あの洗面所の小さな張り紙が告げるように、だれのものでもない、つまり私のものでないとすると・・・?」──

 

 小沢さんの旅立ちに 合掌