与那原恵著『歴史に消えたパトロン 謎の大富豪、赤星鉄馬』を読む

 この書籍は、2019年に中央公論社から刊行された『赤星鉄馬 消えた富豪』が、今年の3月に文庫化されたものだ。
 僕は文庫紹介の、次のような内容に興味を持った。
──武器商人として活躍した父から受け継いだ莫大な資産を惜しみなくつぎこみ、日本初の学術財団「啓明会」を設立し、柳田国男錚々たる学者の研究を支援。アメリカからブラックバスを移入し釣りの世界で名を馳せ、弟たちと日本のゴルフ草創期を牽引。樺山愛輔や吉田茂をはじめとする華麗なる人脈を持ちながら、ほとんど何も残さずに世を去った実業家、赤星鉄馬。評伝に書かれることを注意深く避けたかのようにさえ見える、その謎に満ちた一生を追った本格ノンフィクション。──
 以前に、佐野眞一宮本常一渋沢敬三 旅する巨人 』を読んだときも、渋沢栄一の莫大な遺産を民俗学研究につぎ込んだ孫の渋沢敬三の存在を知って驚いたことがあり、「父から受け継いだ莫大な資産を惜しみなくつぎこみ」、近代学術研究発展に寄与した人物として赤星鉄馬の存在に「ここにも、同時代に、このような人物がいたのか」と興味を持って読み出した。

    

  本書の著者・与那原恵は、彼のノンフィクション首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』の取材をしていた時に、琉球芸術に魅せられた無名の青年・鎌倉芳太郎に多額の研究助成をした学術財団「啓明会」を知ったことからだと書いている。
 先日、焼失した首里城を再建の様子をTVで観たときに、鎌倉芳太郎の残した資料が再建において重要な役割をしていることを知って、その点でも興味を持った。

 赤星鉄馬は、この日本初の本格的学術財団といわれる「啓明会」の創設資金を彼個人として百万円(現在の貨幣価値にして20億円)を提供。そして、財団に「赤星」の名を冠することを固辞し、会の運営にはまったく関わらない方針を貫き、パトロンとしての立場に徹し、「鉄馬の資産は、後世のために有意義に使われ、彼自身は静かに消えていった」人物として、彼と交錯したであろう幕末から明治、大正、そして昭和の時代の数々の人物を調べ、赤星鉄馬の糸口を探し、彼につながる近親者を取材し、近代日本の歴史の中の赤星鉄馬を描いている。
 そのような作品なので、維新以降の薩摩閥と海軍の関係、その繋がりで歴史の流れを形づくっていく数々の人物の動向、日米開戦前に何とか戦争回避できないかと動いた親米派の動きなどなど、単なる一人物の物語でなく、近代日本の歴史書にも値する内容となっている。
 我が家の近くに白洲次郎の晩年の住居「武相荘」があり、白洲正子の遺品なども展示してあるが、正子の父・樺山愛輔や吉田茂などとの相関関係にも興味津々読むことができた。

◇ついでに記しておくが、佐野眞一宮本常一渋沢敬三 旅する巨人 』中で、渋沢栄一の孫・渋沢敬三宮本常一について、このように書いている。
 「宮本の生涯を追っていくうち、渋沢敬三という巨大な存在が、私の視野にせりあがってきた。柳田国男折口信夫と並ぶ大民族学者であり、同時に、日銀総裁や大蔵大臣をつとめた経済人でありながら、いま彼の名を知る人はきわめて少ない。渋沢敬三もまた、宮本同様、いつの間にか〝忘れられた日本人〟の範疇に組みいれられていた。」

「だが、もし渋沢敬三がいなければ、宮本の業績は間違いなく生まれなかった。そればかりか、民俗学及び民族学をはじめとする日本の人文分野の学問の発展もなかった。渋沢敬三が学問の発展にかけた物心両面にわたるパトロネージュ精神は、それほどのものだった。」とあとがきに書いている。
 宮本常一は75歳で武蔵野美術大学の教授になるまで定収入を持たずに調査研究が出来たのは、渋沢敬三の物心両面の多大な援助だったのである。
 そのパトロネージュは、宮本一人だけでなく、広範囲におよんでいて、何と日銀総裁という立場でありながら、マルクス主義経済学者の向坂逸郎大内兵衛などまで援助している。宮本が晩年の敬三に「先生が学界のために使われたお金は一体どれくらいになるのでしょうか。」と問うたら「さあ五億ぐらいにはなるだろうか」と答えたという。「現在の貨幣価値に換算すれば、敬三は少なくとも五十億円、ひょっとすると百億円近い大金を学問発展のためにつぎこんだと考えても、そう間違ってはいなかった。」と佐野眞一は書く。