東畑開人著『 聞く技術 聞いてもらう技術 』を読む

 新聞書籍広告で目に止まったのが、この『聞く技術 聞いてもらう技術』というタイトルの本だ。

      

 6月に我が家・多摩実顕地で開催した研鑽学校の主なテーマは「日常生活の中での『聞く』や『聴く』が機能しているか」だったし、先日、地域の会員さん達が集まってやった集中研でもテーマは『聞く・聴く』を取り上げていた。


 そんなことで、新聞広告でこのタイトルを見たとき、著者は『聞く』をどうとらえているのだろう、社会の営み、人間同士の繋がりの中で『聞く』にどんな効力を提唱しているのだろう、と興味を持った次第。

    

 心理士でありカウンセリングルームを主宰している著者は、
 「聞く」は声が耳に入ってくることで、「聴く」は声に耳を傾けること。
 「聞く」は語られていることを言葉通りに受け止めること、「聴く」は語られていることの裏にある気持ちに触れること」と、このように定義して、それでは、「聞く」と「聴く」のどちらが難しいか?
 著者はずっと「聴く」のほうが難しいし、レベルが高いと思っていたし、臨床心理学でも「聴く」という言葉のほうがよく使われていて、「聞く」は素人でもできる当たり前のことで、「聴く」こそが専門家の高度な仕事なのだと思っていた。

 しかし、それは浅はかで『「聴く」よりも「聞く」のほうが難しい』と気づき本書がうまれたという。

 相手が「ちゃんと聞いて」と訴えるのは、「言っていることを真に受けてほしい」と言うことで、「心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えられていることを、そのまま受けとるほうがずっと難しい」ならば、どうしたら「聞く」ができるのか?と、問いかけて、日常的な事例をあげながら、『聞く(技術)』と『聞いてもらう(技術)』の循環が、いかに社会の中で大切かを述べている。
 そして、今の断絶、格差社会に必要なのは「聞く技術」ではなく「聞いてもらう技術」で、「話が聞けなくなるのは、自身の話を聞いてもらえていないとき」だとして、どうしたら、自身の弱みも含めて気になっていること、悩んでいることを「聞いてもらえる」自分になるか、さらに『聞かれることで、ひとは変わる』と述べている。


 著者の日常的経験をもとにした豊かなコミュニケーションのハウツー的技術を、ふんだんに織り込んだ書籍で、人と人との正常な繋がりを考える上では、参考になる会話技法が書かれていると思った。
 『聞く』とは? 『聴く』とは? それを考える上では参考になった。