この物語は、東大寺の大仏建立という壮大な国家事業(七四三年、聖武天皇は万民の幸福と万代の国家繁栄を祈念して)に、一人の人足として携わった若者の視点からの歴史物語である。
実に読み応えのある小説で、ページをめくる毎に、天平(奈良時代)の昔に引きずり込まれ、静かな感動が随所で湧き上がる物語展開である。
奈良大仏の正式な名称は毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)。像高は約十五M、台座が約三Mなので下から見上げたときの高さは約十八Mとなる。
現在はコロナ禍の影響で観光客は減っているが、平成三十年に奈良市を訪れた観光客は約一千七百万人という。そのほとんどの人が東大寺の大仏の前に立ったと思われるが、その時、その大きさ、かつ荘厳さに圧倒されたことだろう。
しかし、この大仏がどんな時代背景と、どれだけ多くの人たちの苦役で、どんな高度な技術的方法で建立されたかなどには、思い馳せる人は少ないだろうが、この物語ではそれら全てが、読み進めていく中で読者に分かるように描かれている。
そのような意味でも、貴重な大仏建立の史料として、さらに当時の民衆の暮らしの史料として一読に値する小説だと思う。
文庫(上)の前半では、奈良の大仏鋳造のための銅採掘に狩り出された主人公の若者・国人(くにと)の視点から、銅鉱山での奴隷さながらの苦役についた人々の仕事、生活、人間模様などを丹念に描いている。
国人は大仏鋳造の材料となる銅の採掘や精製の現場作業の日々。
その過酷な苦役に従事しながらも、山頂の岩場に石仏を彫る僧侶・景信に文字を習い、薬草の知識を教わる国人。都(奈良)での大仏鋳造が始まると試練経験のある国人は、その課役に選べれて仲間とともに棹銅を運ぶ船で奈良に向かう。
その長門(山口県)から都までの船旅が当時いかに苦難だったかも丹念に描かれている。
文庫(下)では、都での大仏建立の人足として働く国人を始めとした全国から集められた人足の苦役の日々を通して、巨大な仏像をどのような手順で、銅を鋳込み仏像が形作られるか、その様子が克明に描かれ、大仏建立の実質上の責任者ともいわれる大僧正・行基の葬式の様子や、大仏の開眼供養会の催しをも描いている。
そして、大仏完成間近となり、年季明けとなって、往路とは違って陸路で長門に帰る苦難の旅の様子も、細かな風景描写や出会う人々とのやり取り、最終的には里帰りが一人となってしまった国人の心情苦悩をも丹念に描き、失望に打ちひしがれて故郷に戻った国人が、すでに亡くなっていた僧侶・景信が山頂の岸壁に彫った石仏を前にして、これからの自分がやるべき役割を見つけ、やっと安堵し生き続ける気持ちになるところで物語は終わる。
この作品の文学的価値を付け加えるとすれば、主人公・国人を「生きるとは何か」を素直に求める魅力的な若者として描き、苦しい労働に耐えながら、文字を覚え、漢詩を読み学び、自らも詩作できるようになり、それに歓びを感じながら、景信から教わった薬草の知識を周りの人に施し、多くの人との出会いの中で、それが活かされ、人から慕われ、恋され、成長し、世界が広がる様子を、読者が生き生きその様が脳裏に浮かびイメージできるように描いている。
更に長門から奈良までの往路の船旅や、都の街並みとそこに住む都人の様子や、陸路で里帰りする復路の道中の土地土地の情景など、実際に著者が歩き取材しての描写だろうかと思うほど、当時の様子として読者がイメージで来るように、微細に丹念に描かれていて、筆者の筆力の凄さに驚く。
これほど、読後にしばらく、感動の余韻に酔わせてくれる物語は少ない。天平(奈良時代)の世と大仏建立を描いたこの『 国銅 』という小説、末長く読まれる秀作に違いない。