いま、帚木蓬生さんの小説にハマっている

 今日から9月がスタート。

 春先に始まった新型コロナウイルス感染拡大防止の行動自粛の生活も、もう半年がすぎて、我が部屋に飾ってある2ヵ月綴りのカレンダーも、残り2枚になってしまった。

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 昨日までは、残暑厳しい暑さだったが、今日、9月を迎えたら急に秋を感じさせるような30℃を切る気温。厳しかった暑さにホッと一息。
 沖縄には、風速70mともいわれる大型台風。

 宜野湾市に住んでいる次男家族に「気を付けて・・・」というメールを、昨夜、送信した。


◇文庫・帚木蓬生著『 国銅 』(上)を読書中 
 最近、帚木蓬生さんの小説にハマっていて「奈良の大仏造り」を題材にした『 国銅 』を読み出したことは、すでにブログに書いた。
 この物語は、文庫(上)(下)と長編なのだが、現在、(上)を読み進めていて、またしてもハマっている。(言い訳になるが、ブログを書くことも棚上げして読んでいる)

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 この文庫(上)の前半では、奈良の大仏鋳造のための銅採掘に狩り出された若者・国人(くにと)の視点から、銅鉱山での奴隷さながらの苦役についた人々の仕事、生活、人間模様などを丹念に描いている。
 そんな過酷な苦役に従事しながらも、山頂の岩場に石仏を彫る僧侶・景信に文字を習い、薬草の知識を教わる主人公の若者・国人。
 いま、(上)中盤過ぎを読んでいるのだが、大仏鋳造の材料となる銅の採掘や精製の現場作業から、都(奈良)の大仏鋳造の課役に抜擢されて、仲間とともに、精錬後の棹銅を運ぶ船で奈良に向かう過程を、こちらも帚木さんは、その情景がくっきりと読者にイメージできるように丹念に描いている。

f:id:naozi:20200819202612j:plainここまで読み進めて、この長門周防地方の銅鉱山は実際どこなのだろうかとネットで調べてみたら、山口県美祢市美東町「長登銅山」だと分かった。
 ウィキペディアの「東大寺の大仏の銅生産」には、
── 東大寺の文書から、奈良時代東大寺の大仏建立に用いられていた銅は、長門から運ばれていたことが知られていた。『正倉院文書』の中に、造東大寺司が長門国司に対して送付した文書の文面が残っており、これによると約18トンの銅を20名で、片道20日かけて長門から平城京まで運んだことがわかる。──と記されていた。
 また、

「長登銅山跡 大仏ミュージアムのホームページ

https://www.c-able.ne.jp/~naganobo/douzanato.html)には、

──長登銅山跡は、奈良時代から昭和35年まで採掘された銅山ですが、奈良時代から平安時代にかけて国直轄の採銅所[長登採銅・製錬官衙]が置かれ、約200年以上にわたって大変栄えたところです。その後、江戸時代前期と明治・大正時代にも採掘のピークを迎え、長登には各時代の遺跡が随所に残っており、鉱山の時代変遷を探るには格好の地となっています。
 特に古代の鉱山の様子が見学できる全国唯一の遺跡です。
 長登には「その昔、奈良の大仏の銅を献上しており〔奈良登り〕と呼ばれていたことから、なまって長登(ながのぼり)になった。」という地名伝説が語り伝えられていました。しかし、古代の古文書に長登銅山を示す資料は全く見当らず、信憑性のない伝説として長い間見過ごされてきました。
 ところが、昭和47年9月美東町史編纂の調査で、長登字大切の山中から数片の須恵器が採集され、長登銅山跡が古代にさかのぼる日本最古の銅山であることが判明しました。
 また、昭和63年には、奈良東大寺大仏殿西隣の発掘調査が実施され、この時出土した青銅塊の化学分析の結果、奈良の大仏創建時の料銅は長登銅山産であったことが実証されました。東大寺正倉院に残る古文書には、長門国司から26474斤もの大量の銅が東大寺に送られた記録があります。これが大仏鋳造用で長登銅山産出のものと考えられています。26474斤は今の約18tに相当します。これは1回分の船積みの量であり、長登からは数回送付されたと推察できます。
 なお、平成15年7月には、大切谷を中心とした約35万4千㎡が古代鉱山遺跡として、国内で初めて国の史跡に指定されました。── と載っていた。
 そのページに載っていた坑道入り口「大切4号坑口」写真。

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 これらの史実を知ると、帚木蓬生さんは、史料をもとに丹念に調べ、当時の暮らしや、その土地、土地の風景までをもきめ細かく取材し、この物語を描いていることが分かる。
 この『 国銅 』を読み出したことをブログに書いたときに、三重県ヤマギシの村のサガワさんから「帚木蓬生の国銅、感動ものですよ。彼の書いているものはよく調べて書いてますねえ。それも病院に行く前の朝の2時間で書いているらしい。驚きです。」というメールをもらったが、ほんとうに凄い作家──開業医として活動しながらの執筆活動──だとつくづく思いながら、帚木ワールドにどっぷり浸っている。