12月になったら、やっぱり「冬」って感じ

 今日は12月がスタートして2日目。
 朝から気温が低く、午後からは冷たい小雨。
 紅葉も終わりかけてきて、街にはクリスマス飾りが目につき、駅前の街路樹にイルミネーションが輝く。
 12月に入ったら、やっぱり冬の訪れを感じる。

 

◇今日の『 折々のことば 』
 今朝の朝日新聞朝刊の『 折々のことば 』で哲学者の鷲田清一さんが取り上げたのは、翻訳家の須賀敦子さんの言葉。

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  今朝、この『 折々のことば 』で紹介している須賀敦子さんの「時間は過ぎゆくものではなく、拾い集められることで一つの流れになる」という感覚、何となく頷けると思った。
 今年は3月以降、コロナ、コロナで翻弄され気味だった日々。
 日々の時間は流れ、月日がいつの間にか過ぎてしまった。
 いま立ち止まって振り返ると、何の思い出も、これといって残ってはいない。
 コロナ騒動で、僕自身が自主的に拾い集めた「時間」がなかったのかも知れない。
 これからも続くだろうコロナ禍での生活。
 「拾い集める時間」の生活をしたいものだと思う。

 

吉本隆明著『 老いの幸福論 』を読んでいる
 最近、本棚を整理しているのだが、読もうと思って入手しながら、読んでない本があることに気付く。あるいは、その時は読んだのかも知れないが、記憶に残っていないのかも知れない。
 そんな1冊、吉本隆明さんの『 老いの幸福論 』

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 吉本隆明さんは、2012年3月に享年87歳で亡くなっている。
 その1年前に出された、87歳の時の新書本だ。


  1章 こきざみの幸福に気づく ― 超・老齢化社会への心構え
  2章 知識より叡智が大事 ― 吉本隆明流・老年からの勉強法
  3章 家庭内離婚もいいかもしれない ― 変容しつづける家族を生きる
  4章 我が子の罪の償い方 ― 親の責任について考える
  5章 老親問題も育児問題も一緒 ― 制度としての介護、実感としての介護
  6章 ガタがきた体とつき合う ― 老齢期に入ってからの健康法
  7章 死を迎える心の準備なんてない ― 死を語ることの無駄について

 超高齢化社会に突入しようとしている日本で、どう生きれば真の満足感や生きがいが得られるのかは誰にもわからないとしながらも、『人間の幸・不幸は、ごく短い期間で考え、時間を細かく刻んで、その都度 気分がよければ「幸福」、悪い気分であれば「不幸」として日々過ごす生き方しかないのではないか』吉本隆明さん説く。


 最後の章では、伊豆で水泳中に溺れて体験した自身の「仮死状態」について語り、さらに親鸞宮沢賢治の言葉、森鴎外江藤淳の遺書などにも触れながら「死とは何か」を吉本流に論じている。
 コロナ禍の日々、僕も高齢(老齢)となった今、吉本流の「この生き方」になんとなくわかる気持ちになって一気に読んだ。