東京新聞夕刊「文化」欄から

 新聞を整理していたら、先週の金曜日の東京新聞夕刊の「文化」欄に、哲学者・鷲田清一さんの『 コロナが変えた価値観 社会設計し直す時 』と題する寄稿が載っていた。

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 その内容を、備忘録的意味から、ここに抜粋して記しておきたい。

f:id:naozi:20200707191045j:plain鷲田さんは、
「経済のシステムはこれほどにもたやすく機能不全に陥るものだったのか。医療のシステムはこんなにも脆弱になっていたのかと、人々は青ざめたが、同時にたった一つの出来事でじぶんたちの生活がこんなにもかんたんに変わりうるということに愕然とした。多くの人が、いま、一つの建物を組み立てていたネジや留め金がぜんぶ外れてしまったような感覚のなかにいる。」と、いまの新型コロナウイルス感染拡大の中での私たちの心情を的確に言う。

f:id:naozi:20200707191045j:plainそして、そのいまの状況を、
「皮肉にも、他人の触れたものへの素手での接触がまっさきに危ないとされる。あるいは他人と距離を置くことが社会的にふさわしいふるまいになる。ともに生きるためにこそたがいに隔たるという逆説である。」と指摘し、

「こうした同じ一つの逆説的な事態を、世界中の人たちが同時に経験するようなことはこれまでなかった。」と述べ、
「さらには自由主義社会がこれまでとくに警戒してきた統制、つまり私的領域への権力の介入をすっと受け入れるどころか、もっと統制を急げとせっつきすらするという矛盾も。」と、今までの価値観の逆転を指摘している。

f:id:naozi:20200707191045j:plainそして、
「こうした逆説や矛盾はじつはこれまでの『平常事態』のなかにこそ、もっとも歪(いびつ)なかたちであったのではないか。」と言い、
 それをもたらしたのは、
「働くことと家族や地域で暮らすことの、空間的にも時間的にもはなはだしい分離。あるいは、持てる人と持たない人の分離。前者の暮らしの基盤が後者の低賃金労働に支えられているという構造。」と述べ、この新型コロナウイルスによって「それがこれほど可視化された時はないのではないか。」と言う。

f:id:naozi:20200707191045j:plainそして最後に、
「情けないかな、わたしたちには失うまで事の重さに気づかないことがある。生きる歓びはじつのところどこにあるのか。人びととともに生き存(ながら)えるのに絶対に欠かせないもの、最後まで手放してはならないものは何か。社会を元に戻すのではなく、そういう価値の遠近法を設計図としてあらためてネジや留め金を選びなおす、いまがその時なのだとおもう。」と価値観の転換による、この状況からの脱却の大切な視点を述べている。