僕の2017年読書「ベスト10」・その6

 今年の8月に読んだ『都市と野生の思考』は、哲学者で京都市立芸大学長の鷲田清一さんと、ゴリラ研究の世界的権威の京都大学総長の山極寿一さんによる対談本である。
         
 実に分かり易く、現在の日本の問題点を指摘しながら、リーダーシップのあり方、老い、家族や衣食住の起源と進化、教養の本質などを、哲学と生物学からみた思考で論じている。

 例えば、対談の冒頭は、2人が現在務めている立場から「大学の本来の使命とは」の中で次の様に論じている。
 山極さんは「いろいろな人がいて、好き勝手なことをする場が大学、これはある意味ジャングルのようなところだと思います。陸上で生物の多様性が最も高い場所がジャングルであるように、大学も多様な人材が集まり多様な研究を自由に行えるべきでしょう。多様性を維持することがジャングルの安定性につながるのであり、そのためにはエネルギーと水、すなわち資金と世論の支えが必要です。外部の支援を引き出しながら大学にいる猛獣のような研究者たちに縄をつけることなく、その能力を存分に引き出す。これこそが総長のリーターシップではないでしょうか。」といい、
 鷲田さんは「まさしくそうですね。それにしてもジャングルとはいいたとえですね。大学本来の意義を突き詰めるなら、それは今この時代の国家的ニーズに応えることなどでは決してない。大学とは本来、国家や資本社会の市場論理などよりもっと根源的で、幅広い社会全体の仕組みの中で機能してきた組織です。そういう歴史の大きなスケールの中で大学を捉え直すべきです。」といい、「目先の利益だけを追うような研究をしていてはいかんと思いますね。」と、大学の法人化の中で「社会貢献と言いながら、この場合の社会とは企業だけのことを言っている。要するに産業・経済界でしっかり働ける、グローバルな人材を大学は養成せよというわけです。」と産学連携での共同研究に力をいれがちな大学のあり方を問題視している。

 そして、巻末の「おわりに」で山極さんは、「大学に入ってからは、ニホンザルを追って日本の山野を巡り歩き、ゴリラを探してアフリカのジャングルに分け入った。その過程で自然に近い場所で暮らしている様々な人々に出会った。一緒に仕事をして野生の思考を学んだ。一日じゅうゴリラの群れの中で暮らし、ゴリラの暮らしの作法や感性を会得した。その視点に立って、人間世界や都市の暮らしを見渡したとき、おびただしい疑問が湧いてきた。人間は類人猿との共通祖先から分かれて約七〇〇万年、大切に育ててきたものがある。たとえば食物を配分したり、寝場所をともにしたりすること。そこに幸福の原点があるはずなのに、今それを急速に失いつつあるのではないか。人間も、人間の暮らしも何か今までとはまったく違ったものになりつつある。今こそ、野生の思考と都市の思考を合わせて、人間の来し方行く末を論じなければ大変なことになる。」と、現代の日本の社会風潮の中で生きる我々に問題提起している。

 ここで言う「都市」を2人は、京都のような成熟した都市を指している。
 鷲田さんは京都を、「支配者が代わり、国家体制が変わっても生き延びているものの象徴が、街に息づく芸術や祭りです。祇園祭なんて、一体何年続いていることか。」と言い、「自分の喜びは二の次として孫を喜ばせて楽しむ、そういう老いの形もあった。」と述べ、高度成長時代に「人の活動はことごとく目的と手段の連鎖の中に閉じ込められる。今がんばるのは豊かな老後のため、今の活動は将来の事業達成のため、できる限り無駄なく達するために、生産性や効率性をあげる。」という思考の中で生きてきた我々に、発想の転換を提言して、これからの成熟社会の中でのシニア世代の生き方にまで随所で触れている。


 ぜひ、一読をお薦めの一冊である。