山極寿一さんが言う「ゴリラの社会」

 新聞を広げて、興味ある記事だがゆっくり読む時間がないときは、その紙面だけ抜き出しておく。
 日曜日の東京新聞に載っていた「あの人に迫る」の山極寿一さんのインタビュー記事もその一つだ。
 ゴリラ研究で有名な山極寿一さんは、10月から京都大学長に就任されたのだそうだ。
 その山極さんのゴリラから教わったという「幸福論」が目にとまった。
       
山極さんによると、
 「人間のような演技性がゴリラにはある」のだそうだ。そのひとつがゴリラが胸をたたくドラミング。けして相手に対しての宣戦布告だけでなく「誰かがなだめに来てくれれば矛を収める」と伝えているのだそうだ。
 「二者間では収捨がつかない事態に、間に入ってくれる仲裁者が必要だから、ゴリラは群れをつくる。仲裁者は強くないメスでも子どもでもいい。それはニホンザルとは全く違う社会」なのだという。
 「ニホンザルは強い弱いを決めていて、弱者が強者に譲れば争いは起きない。だけどゴリラは負けない。強い弱いを認め合わない。」
 「人間の社会はゴリラに似た部分があったのに、ニホンザルの方に近づいている。勝敗にこだわるようになった。その方がトラブルが長引かなくて時間がかからず経済的だから」
 「人間は本来『勝ちたい』のではなく『負けず嫌い』で、現代社会は両者を混同している。」
 「負けないという思想のゴールは、相手と対等になること。」ゴリラにはそれがあるらしい。
 「勝つことは相手を屈服させるから、恨みが残り、相手は離れていく。本来人間は勝敗を先送りして、対等な関係を保ってきた。経済よりも社会が重要だと言いたい。」
 さらに、山極さんはサルとゴリラの違いを述べ、人間が「サル化」していると言う。
 「人間がサルと違うのは、社会や集団のために何かしたいと思えること。そこに自分が加わっている幸福感が、いろんな行動に駆り立ててきた。サルは自分の利益を最大化するために集団をつくる。今は人間も自分の利益を増やしてくれる仲間を選び、それができなくなったら仲間はいらない、となる。」
 「ゴリラと人間は五感がほとんど変わらない。その五感を中心につくられる社会には、それほどの差はないと思う。」
 そのゴリラの社会(群れ)は10頭前後で、これを「共鳴集団」と言うのだそうだ。
 人間における家族やスポーツチームに似ていて「仲間の癖、性格を心得ているから、試合に出れば、声はかけるけれど言葉は交わさない。何を求めているか、目配せでわかる。」
 われわれ人間も「家族や家族のように親しく接している人との共鳴集団があることで安らぎや幸福感を得ている」のだと言って、山極さんは「そういう人間の家族の起源を再考し、理論に残したい。」と述べている。
              

 こんな記事を読んだら、動物園に行って、じっくりゴリラの表情や目を見つめてみたくなった。
 今までとは違ったゴリラの姿が見つけられるかも知れない。