中路啓太著『 GHQ ゴー・ホーム・クイックリー 』を読む

 この小説は、日本国憲法はどのような背景と経緯で制定されたかが、実に詳しく、分かり易く描かれた物語である。

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 物語は、終戦直後の1946年2月から47年11月における日本国憲法制定過程を描いたノンフィクション・ノベルである。主人公は、実在した法務官僚・佐藤達夫。本書タイトルは、マッカーサー元帥が率いる連合国軍最高司令官総司令部GHQ)を、吉田茂が揶揄した「ゴー・ホーム・クイックリー」の言葉。

f:id:naozi:20200519211653j:plain 日本は1945年8月のポツダム宣言受諾以降、サンフランシスコ講和条約締結までGHQ(実質はアメリカ軍)に占領された。日本の非軍事化と民主化を目指したGHQは、新たな日本国憲法の制定を急いだ。しかし、制定する権限はGHQではなく、英・米・ソ・仏・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国からなる極東委員会にあった。

 この極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合、特にソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を持っていたため天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判天皇が被告席に立たされる可能性があった。しかし、マッカーサー元帥は日本の天皇制は残したほうが日本の民主化と非軍事化はうまく進むという確信があり、天皇制を利用して短期間のうちに軍国主義の一掃と民主化を成し遂げ、日本占領を成功裡に収めたいという思いがあった。彼には「日本占領を成功させた卓越した行政官」として帰国し、大統領候補に指名されることを狙っていたという個人的理由があった。その大統領指名獲得というタイムリミットからも、極東委員会を出し抜き、日本国民が自ら制定した形を装ったGHQ指導による日本国憲法の制定に取り組んだのである。

f:id:naozi:20200519211653j:plain GHQは約2週間でGHQ草案とも言うべき憲法骨子を作成し、日本の憲法準備会議に示し、それをあくまでも日本政府主体で作った草案として世に出すことを指示。それを受け日本側は、短期間のうちにGHQ草案を日本語に翻訳し、字句一つひとつを検討し、GHQ民生局メンバーと討議を繰り返しながら憲法草案起草作業を強いられるのだが、憲法前文から各条の「象徴天皇」「国体護持」「主権」「9条」「基本的人権」「貴族院参議院」等々についての激しい議論、その後の議会での真摯な論議の一部始終がドキュメンタリータッチできめ細かく描かれている。その草案起草を実務的に携わった法務官僚・佐藤達夫の視点を通して、各条に記載する言葉の一つひとつが、どのような意図のもとに選ばれたかがよく理解できる。

f:id:naozi:20200519211653j:plain なぜ、そのような突貫工事的、草案作成に日本側も応えたか。当時、外務大臣だった吉田茂は「GHQとは何の略だか知ってるかね?ゴー・ホーム・クイックリーだ。『さっさと帰れ』だよ」と言い、彼らが帰った後「じっくりと時間をかけて良き国の体制を整えるのは、独立を回復してからだ」との考えを持っていたからだと物語は展開する。日本国憲法がどのようにして生まれたかに興味がある人には一読に値する小説である。

 最後に触れておきたいが、日本国憲法第9条は、第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めているのだが、その第2項に「前項の目的を達するため」との文言を挿入したことが、前項の目的以外の自衛のための再軍備が合憲か違憲かとの問題発生の危惧を、その時点で佐藤達夫も含めた何人かは持っていたという事実も描かれている。