オダギリジョー監督の映画『 ある船頭の話 』を観る

 先日の「秋の叙勲」の受章者が発表され、その中に俳優の柄本明さんが「旭日小綬章」受章のニュースが流れていた。
 そのニュースのなかでインタビューに答えている柄本さんの姿を観ていて、「そういえば、俳優のオダギリジョーが監督の初めての長編映画の主演に柄本明・・・」と何かで読み、観たいと気になっていたこの映画『 ある船頭の話 』のことを思い出した。
 早速、上映館を探したら東京では立川と新宿の武蔵野館の2ヵ所だった。
 そんなことで、上映が終わる当日、慌てて時間をやり繰りして鑑賞。

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 監督のオダギリジョーは、僕も好きな俳優である。
 特に、洋画家・藤田嗣治を描いた小栗康平監督の映画『 FOUJITA 』での、藤田扮する風貌とその演技は、強烈に記憶に残っている。
 その「俳優・オダギリジョー」が、このような映画の脚本を書き、監督をして映画を作ったことに、先ずは驚く内容だった。

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 美しい自然の映像、特に緑豊かな森や川面を映し出す映像は素晴らしいものだった。
 そんな美しい自然の中で、ぼくとつな渡し船の船頭を演じるのが柄本明さんだ。
 美しい自然と、人間の狂気とも言える性を描いた映画だった。

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 ちょっとだけ内容に触れると、
 時は、明治後期から大正にかけての頃。東北地方の緑豊かな山の麓にゆったりと流れる大きな川が舞台だ。
 主人公は、川岸の粗末な小屋に一人で住み、渡し舟の船頭を生業とする。
 川上では煉瓦造りの橋の突貫工事が行われ、新しい時代の波が押し寄せているが、相変わらず山里と町を行き来する人々や、橋建設の関係者をも乗せて、黙々と舟を漕ぐ日々を送っている。
 ある夜、舟に、傷ついた少女が流れてきてぶつかり救う。
 川上の部落で一家撲殺の殺人事件があって、娘だけが行方不明だという噂を聞くが、それが少女と関係あるかどうかは定かではない。
 「知り合いからちょっと預かっている」と言って、小屋にかくまい生活を共にする。
 そこから、ミステリアスに物語は展開するのだ。

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 これ以上書くと、これから観る人のじゃまになるので控えるが、ネットで検索したこの映画について、オダギリジョーの製作意図が、このように書かれていたので引用させてもらう。
──「便利であればいい、無駄なことは必要ない、というような極端な価値観で生きていないか? 時間やお金で物事を計り、本当の幸せは端に追いやられていないか?」。以前から、経済的な効率を最優先で考える現代の資本主義社会に疑問を抱いていたオダギリは、そのアンチテーゼとして、ゆったりと時間が流れる渡し舟の上で、人々が交わす会話を軸に展開するミニマルな物語を思い描いた。背景を日本が一気に近代化へと突き進む明治時代の一時期に設定し、脚本の草稿を書き留めていったという。──

 

 とにかく、俳優・オダギリジョーの才能に驚かされる出来映えの映画だった.