朝井まかて著 『 藪医 ふらここ堂 』 を読む

 先週末の出張時の電車と、昨日の通勤電車の中で、朝井まかての『 藪医 ふらここ堂 』を読んだ。
 「ふらここ堂」って何だろうと思いながら、乗車時間までの余裕もあまりなかったので、朝井まかての時代小説なら期待を裏切らないだろうと選んだ文庫本だ。
 朝井まかての小説は、以前に、幕末から明治を生きた樋口一葉の師として知られる歌人・中島歌子の一生を描いた『 恋歌 』や、江戸時代前期のベストセラー作家・井原西鶴を、盲目の娘の語りで綴った『 阿蘭陀西鶴(おらんださいかく) 』、長崎のオランダ商館の医師・シーボルトの庭師として成長していく植木職人を描いた『 先生のお庭番 』などを読んでいる。
 今回、読んだのは、江戸時代の中期・第九代将軍家重の時代に、江戸・神田三河町で開業している小児科医の物語だった。
         
 物語の展開は、江戸時代の小児科医と長屋の人々の人情物語で、江戸の市井の暮らしを淡々と描きながら、医療とは何かを、それとなく問いながら、江戸下町に住む人々が、現代では消えてしまったようなお節介し合いながらの日々の生活を、ユーモア豊かに描かれていて、読んでいて気持がいい。

 もう少し本書に触れる。
 主人公の小児科医の天野三哲は「面倒臭ぇ」が口癖。
 朝寝坊はする、患者を選り好みする、面倒そうな患者には居留守をつかい、裏口から逃げ出して湯屋にしけ込む。
 そんな天野三哲は、近所でも有名な藪医者だ。
 その藪医者を中心に、娘のおゆん、弟子の次郎助、凄腕産婆のお亀婆さん、男前の薬種商の番頭・佐吉などの人情味ある姿と日常の暮らしが展開する。
 そして、主人公の天野三哲は、実は、医師としての家柄に生まれながらも実家を飛び出し、放浪し、あるきっかけで再び医師となった人物。
 チャランポランの言動をして、回りからは藪医者と言われてはいるが、医療については筋の通った施しをする。
 そんな天野三哲を、物語の展開で徐々に、実は名医だというのを読者におもしろ可笑しく納得させ、医療の本質を問う筆力は、さすが朝井まかてだ。
 ちなみに、タイトルの「ふらここ」とは、庭先の山桃の枝に吊るされた「ブランコ」のことで、「ふらここ(ブランコ)」を、病気と折り合いをつけながらの治療や、人の生き方に例えているのが読み終わって納得する。
 「江戸の町人って、その日その日の暮らしぶりだが、結構、楽しく暮らしていたのだなあ〜」と、読後、爽やかな気分にしてくれる。